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「すっ……っごかった!!」

 あっという間の時間だった。でも中身はすごく濃いものだった。
 試合が終わって暮れ切った空の下、会場の出口を通ると隣にいた影山くんに私は開口一番そう伝えた。
 握り拳を掲げ、試合途中に鞄の中から引っ張り出したスポーツタオルを首に下げて、息も付かせず「スパイクもサーブもめっちゃ速くて、それをちゃんとセッターまで返してるリベロもかっこよかったし何回もスーパープレイあったし、速攻とかの連携もすごかった! とにかくすごかった!」と捲くし立てる。
 影山くんは一瞬だけぽかんとしたけど、それから嬉しそうに私を見て、「おう。良かった」とだけ答えてくれた。
 興奮冷めやらぬ周囲に釣られていた部分もあるかもしれない。でも純粋に初めて見た大きい試合で、私は子どもみたいにはしゃいだ。
 会場が一体になって叫ぶコールに参加したり、メガホンとかスティックバルーンの音に合わせて手拍子したり、何よりコート内で疲れながらも楽しそうにプレイする選手の姿を見てすごく感銘を受けた。
 それは、隣にいた影山くんも同じだと思う。私に比べて応援はそんなに積極的にしてなかった(表だってそういうことをするタイプじゃないだけだと思う)けど、終始コートへ目を向けては瞬きも忘れているんじゃないかというくらい食い入るように試合の展望を見届けていた。
 何よりもすごく、羨ましそうだった。また影山くんの新しい一面を垣間見た気がする。

 若干の高揚感を引き摺りながらも、バス停までの短い距離を並んで歩く。
 影山くんの家を聞くと、バスで私の家に行く途中に最寄の停留所があるらしい。でも当たり前のように「家まで送ってく」といわれて、今度はどもらないように気をつけながら、ありがとう、とお礼を述べた。
 数十分に一本のバスに乗り込み、行きと同じように一番後ろの席に座った。窓のサッシに頬杖をつきながら何かを考え込んでいる影山くんの隣で、私は遠く真正面にある料金表を見つめた。定期外だから、余分なお金が掛かるはずだ。それでも影山くんは快く(というか有無を言わさず)そのお金を払ってでも私を送っていくと申し出てくれたことが純粋に嬉しかった。

「何ニヤニヤしてんだよ」

 いつの間にか影山くんがこっちを見てた。な、なんでもないです。取り繕うように答えると「カタコト」と短くツッコミが入る。「容赦ない」。乗り込むときに掴んだ乗車整理券を指先で弄びながら言う。影山くんはふん、と小さく鼻で笑った。でも、嫌な感じの笑い方じゃなかった。
 排気ガスを吐き出しながら、バスが進んでいく。窓の外では夜の風景がバスのスピードに合わせて、次々に切り替わっていく。きらびやかだった風景が徐々に寂しくなっていく。
 まるで夢の世界から現実へ変わっていくみたいに。
 その光景をぼんやりと眺めながら、私と影山くんを乗せたバスはぐんぐんと目的地との距離を縮めていた。





 乗り継いで数十分後、私の最寄の停留所に到着したバスは名残惜しさもなく去っていった。そのバックライトを眺めて、それから家のある道へ向かう。影山くんは私の歩幅に合わせて歩いてくれていた。
 会話がなくても、そんなに気にならなかった。
 バスの中でちょっと居眠りしちゃったけど別に彼は何も言わなかったし、影山くんもたまに欠伸してたし。だからって気まずく思うこともなかった。
 それが心地いい、と言うのだろうか。踏み込んで、干渉し合わない。私は影山くんのことを知りたいと思うけど、それを押し付けるつもりもない。影山くんはきっと知りたいとすら思ってないけど、拒絶もしない。だから成り立ってるバランス。
 それがずっと続けばいいなって、三日月がぽっかり浮かぶ空をぼうっと眺めながら思ってたときだった。

「あー……くっそ」
「どうしたの?」
「バレーやりてえ」
 
 会場にいた頃から、頻りにうずうずしてたのはそれが原因か。
 あはは、と声に出して私は笑った。あの試合中に見た羨ましいって顔は、そういう意味だったんだ。

「すごいなあ、ほんと」
「何がだよ」
「普通はすごいなあで終わるんだよ。でも影山くんはそうじゃない」
「すげえなって思うから、試したくなるんだろ」
「プロの技を?」
「おう」
「やっぱりすごい」

 素直に感嘆する。
 プロの試合だろうがなんだろうが、そのコートに立ちたいっていう意思の強さは変わらない。技術に貪欲で、バレーを本当に好きで、楽しんでやってる。それはこないだ体育館で彼を見たときにも実感したし、今日隣で観戦して、数時間一緒にいて、改めて感じたことだ。

 遠い、なあ。

 角を曲がる。あとは家まで一本道だ。少し離れたところにある自宅はまだ電気がついてる。夜遅くなるかもとは言っていたけど、ご飯いらないとは言ってないからたぶん用意してくれてるんだろう。温かい家を想像して、ちょっとだけ空腹感が増す。

「あれ」
「え?」

 家まで辿り着くと、その玄関先にある物を見て影山くんが声を上げた。送ってくれてありがとう、そう言おうとした出鼻が挫かれた。
 玄関のすぐ脇にある小型の物置の上に無造作に置かれたそれに、影山くんは手を伸ばした。あ、と私も今になってようやくその存在を認知する。

「ボールあんじゃねーか。しかもカラボ」
「あーそれ。前にも言ったかもだけど、近所のお兄さん……っていうか烏養さんなんだけど。現役のときに私にバレーやらそうって試みで置いてったんだよ」
「で、やらなかったと」
「ほったらかしのその状態を見てくれたら分かると思うけど……、仰る通りです」

 ボールにたっぷりと被っていた埃を、臆することなく両手でごしごしと拭う。それから手のひらで何度か地面にバウンドさせた。

「少し空気抜けてんな」
「誰も触ってなかったからね」
「これでいいや。おい、苗字。ボール出してくれ」
「はっ!?」

 ぽーんっと弧を描きボールがこちらに放られる。埃はあらかた取れてて、青と黄色と白のコントラストで着色されたそれを、半ば反射的ににキャッチした。ボールの感覚、そのなじみのない触り心地が手のひらに広がる。

「試したいトスがあんだよ」
「い、今ですか」
「今やらねえと感覚鈍る」
「でも私バレー全然出来な」
「いーから!」

 こいこい、と手招きされた。
 このときばかりは横暴だ、と初めて影山くんの王様っぽい一面に触れた気がした。