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 五月二周目の日曜日。ゴールデンウィークも終わりを告げ、私は朝から緊張した面持ちでクローゼットを眺めていた。
 と、とうとうこの日が来てしまった。
 公式戦を観戦するっていう独特で非日常なイベントに加えて、その会場で私の隣の席には影山くんが座るんだ。
 特に、待ち合わせとかそういうことはしていない。どうせ会場に入れば自動的に会うことが出来るんだから別にいいだろうって思ってたし、影山くんも特に何も言ってこなかったから。でも、それが今になって更に緊張感を増やしていた。
 表だってはっきり待ち合わせ! って決めてたらまだ潔くなれたかもしれない。そう後悔しても後の祭りだ。

「とにかく。とにかく格好決めよ」

 デートって訳じゃないし、目的は影山くんに会うだけじゃないんだからそこらへんも踏まえないといけない。とはいえ、スポーツ観戦をあんまりしたことがない身からすると、どうにもベストな格好が分からない。動きやすければ何でもいいかな、でも動きやすいってレベルはどこからだろう、そう考えあぐねて、気付けば昼間をとっくに過ぎていた。
 仙台市体育館は烏野からバスを乗り継いで行かないといけない。ただでさえあんまり遠出しない私は乗り継ぎが失敗するかもしれないし、迷う可能性だってある。早めの行動をしなきゃ。そんな使命感みたいなものが私を急かす。
 どうにか最終的に無難な格好に落ち着かせると、意を決して私は家を出た。時刻は午後三時を優に過ぎてしまっていた。





 大通りにある停留所からバスに乗る。駅まで行って、そこで乗換するバスは乗ったことのない路線だ。事前にメモを入力したスマートフォンのアプリを閉じると、私は乗り込んだ車内の一番後ろの席に腰を落とした。
 のどかなこの一帯の路線でも、平日は烏野生、土日は近所のお年寄りや休みを謳歌しようとする若者で車内はなかなか混雑していた。
 その中で座席に座らず、つり革を持って楽しそうに話しこむ男女の姿が目に入った。私より少し上くらいの年齢だろうか。綺麗な服や念入りな化粧をした彼女はとても可愛くて、男の人もかっこいい。それでもって二人は仲良さそうに笑い合っては、幸せそうに並んでいた。

 目を細める。あんな風に。あんな風に、私もいつか。

 終点である駅に到着します、という車内アナウンスで我に返った。脳内に描いていた、私、それから。彼の姿を必死に掻き消す。だめだ、と強く言い聞かせた。
 駅の降車場で停止した車内で、列が連なる。その最後尾に並びながら私は、外の景色を眺めた。変な高揚感。初めて間近で見る試合は楽しみだったし、影山くんに休日会えるっていう事実も嬉しい。そんな気持ちは、心の中だけに留めておこう。そう決意して、私は運転席の近くに設置されてるICカードの端末に自分のカードを押し付けた。
 それから段差を降りて、別のバス停へと向かう。その途中で、さっきバスで見かけた恋人たちが中良さそうに手を繋いで歩いている光景を、私は一瞥を向けるだけに留めた。





「お」
「あ」

 ボールの跳ねる音が木霊する。私は手元のチケットを頼りにアリーナ観覧席をうろうろと彷徨っていた。その途中で、私は影山くんとまさかの出会い方を果たした。

「早かったな」
「うん。でも席、分かんなくて」
「たぶんこっち」

 指差した方向を影山くんが先導するように歩き始める。その後に続きながら私は周囲を見渡した。すごい人。とにかく人がいっぱいだ。横断幕や応援グッズを手に試合をまだかまだかと待ち侘びる人、携帯の画面を見つめながら時間をやり過ごそうとしてる人。友人や家族連れ。恋人同士。色んなひとがいる。前の方を見るとカメラがあった。ローマ字でミヤギテレビって書いてある。

「影山くん影山くん」
「あ?」
「テレビテレビ」
「中継あるからな」
「そうなんだ?」

 柄にもなくはしゃいでしまった私を、影山くんは「映るのはほとんど試合だけ。なんでそんな嬉しそうなんだよ」とからかうように言った。
 最近、影山くんは前よりもっと穏やかになった気がする。徐々に、だけど。私に対して影山くんは色んな表情を見せてくれるようになった、気がする。
 時間、大丈夫かなあ。そう零すと影山くんはちらりとコートの中を見て、それから「まだウォームアップしてっから大丈夫」と返してくれた。その背中を追う。人の波を掻き分けて、辿りついた席。わあ、と目を見張る。

「コートエンドか」
「え?」
「後ろ側だよ。すっげえ面白い席」
「そうなんだ……」

 ネットに対して真正面、テレビの中継でよく見る角度から九十度ずらした場所は、私にとって馴染みの薄い席だったけど影山くんはすごく嬉しそうに自分の番号の席の足元に荷物を置くとそこからコートを真っ直ぐ見据えた。

 あ。
 すごく、嬉しそう。

 シューズのスキール音やすさまじいスパイクの音、それらが響く度に客席のあちこちからは歓声があがる。試合前でこれだけの盛り上がりだ。実際に始まったら、どんな風にこの会場は形を変えるのだろう。そのワクワク感を噛み締める。それと同時に隣に座った影山くんの方へ目を向けた。

 子どもみたいに、まっすぐ輝いた目。選手のひとりひとりの動きに合わせて目を動かせては、観察してるみたいに何か考えてる。もちろん邪魔するつもりはないけど、それにしたって邪魔出来そうにないくらいの集中力だ。プロから技を奪う、とかよく聞くけどまさしく影山くんはそれをしてる人の顔つきだった。
 その横顔を眺める。たぶん、今ならどれだけ見ても気付かれない。でも、と、少ししてから私もコートのほうへ視線をずらした。
 
 そのためにここに来たわけじゃない。そう心の中で呟く。一際甲高いホイッスルの音が響き渡る。ウォームアップの終了、そして、試合開始の合図だと少し経ってから気付いた。
 生唾を飲み込む。徐々に緊張感に包まれていく会場内。実際に試合に出てるのは私じゃないのに、まるで今からコートに立つ選手みたいに私も緊張と高揚を抱いていた。