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 午後の授業が始まりそうな時間になって、席を外していた影山くんが戻ってきた。予鈴が鳴るまで、まだもう少し時間があった。
 先ほど無意識に理解してしまった自分の気持ちを何とか押さえ込もうとしていた私の前、彼が椅子を引いて座る。それからいつもの飲み物を机に置いて、何をするわけでもなく彼は頬杖をついて窓の外を眺めていた。
 その横顔を盗み見る。でもすぐに何をしているんだろうと思い直して、手持ち無沙汰に教科書を探すと、こないだ担任の先生から貰った二枚のチケットを挟んでいたクリアファイルが出てきた。
 あ、と小さく声が出る。人が疎らだった私たちの周り。その声はどうやら影山くんに届いてしまったらしい。
 彼がこちらを見た。そんな気配がした。

「おい、それ」
「えっ」

 珍しく影山くんから話しかけられた。
 彼の視線は私の手元にあって、ああ、とすぐにその声の矛先に納得する。クリアファイルの中から細長いチケットを取り出すと、その一枚を影山くんに差し出した。

「なんかね、ゴールデンウィーク明けの日曜日に試合やるみたいで」
「知ってる。全日本の合宿明けのやつだろ。どこで手に入れたんだよ」
「あ、そうなんだ。先生が持ってて」
「へえ」
「影山くんは見に行かないの?」

 その質問に影山くんは渋い顔をして見せた。
 首を傾げると同時に「枚数少なくて、先輩優先になった」とぽつり零される。上下関係ってやつかなあ、と他人事のように聞いてると影山くんがチケットを握り締めたまま何かを考えているようだった。
 あ、この目は。

「影山くん、それ要る?」

 何度か見たことがある。聞きたかったり言いたいことがあったら、影山くんはこっちの様子を伺うような目をする。その仕草は、とても中学時代「王様」と呼ばれていた人のすることとは思えなかった。
 人の様子とか状況とか表情とかを、影山くんは不器用なりに読み取ろうとしている。そんな人が独裁者なわけがない。
 もしあの話が本当なら、影山くんは変わったんだ。それも短期間で。何が彼をそうさせたのかは分からない。
 でも、変わるってことはそう簡単なことじゃないから、きっと辛いことや大変なことがあったんだろうなと勝手に憶測を立てた。それを差し引いてもバレーに対する影山くんの真摯な態度は、私にとって憧れだったりするわけだけど。……さっきそれを越えて、「好き」だって自覚してしまったけど。思い出すと恥ずかしくなるから、そこで思考を切り替えた。
 期待の籠もった目で「いる!!」と言わんばかりに影山くんは力強く頷いた。その反動でチケットがくしゃりと握られる。
 破らないでね、と茶化すと影山くんはうるせえって唇を尖らせた。

 さて、と私の手元に戻った最後の一枚を見下ろす。アリーナの指定券。チケットの座席欄には番号が振られてて、当然かもしれないけど私の持ってる券と影山くん持ってる券は連番だ。
 あと一枚の行き先は決めていない、というか、決めあぐねている。

「影山くん」
「ん」
「あのさ。もう一枚あるんだけど」

 持っていた一枚をひらひらと振って見せた。行こうと思ってた。当日は何も用事を入れていない、それは今でも変わらない。でもこういう展開になると迷いが生じる。
 見に行くってことは当日、隣には影山くんがいるってことだ。

「誰か他に、行きたいって言ってるひといたりする?」

 譲ってしまおうかとも思った。
 何となく、今の私は見にいってはいけないような気がして。チケットを得られなかった影山くんからしたら興味半分で見に行く行為自体、失礼に値するかもしれないんじゃないかなという不安があった。チケットを貰ったときは、純粋にバレーの試合を間近で観戦してみたかった。でも今は、それだけじゃない。見に行きたい。何より、隣に影山くんがいる。その空間を、欲しいと望んでしまった。
 なんて不純なんだろう。
 その罪悪感を味わうくらいなら、他に欲しいひとがいればそっちに譲ろうと思った。けれど影山くんは意外そうな顔をして私をじっと見据えた。

「苗字は行きたくねえの」
「え、そりゃ、せっかくだし見たいけど」
「じゃあ何でんなこと言うわけ」
「や、まあ……私みたいな中途半端な奴が行くよりさ、やっぱ本当に行きたいひとに行ってもらったほうがいいじゃん」
「別に関係ねえよ」

 にやり、と影山くんが意地悪く笑った。その意味が図れず、影山くん、と呼びかけると彼は私の持っていたチケットを指先でぱしんと弾いた。風に煽られ、ふわりと紙が舞う。その緩慢な動きの後ろで、影山くんは目を輝かせながら、言った。

「見てるこっちだって中途半端になれねえくらい、試合は面白いから」