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 それから二日くらい経って、影山くんとあの夜のことはあまり話さなかった。
 正確に言えば、私が話そうとしても影山くんは嫌がる素振りを見せた。警戒心を剥き出しにする猫みたいに鋭く睨みを利かせ、「夜」とか「コーチ」、とか。あの出来事を連想させるような言葉を拒んだ。
 はっきりとした拒絶。それを何度も経験したいと思うほど私も強い人間じゃない。だから一度彼の拒絶の琴線に触れたと分かると、それっきりあの話はしないよう試みた。

 でも、本当は聞きたい。
 あの時なにを言ったのって。でも、それと同時に乗せられた天秤の片方に乗ってる「拒絶」は、いまの私にとって一番怖いものだ。

 頬杖を突きながら前を向く。流暢な発音で教科書の文面を読んでは、器用に英文を黒板に書いていく英語教師の声を聞きながら、私の目は黒板から前の席に焦点を移した。
 また、寝てる。
 こうして堂々と寝られるっていうのもすごいことだなあ、なんて思いながら丸まった影山くんの背中を見つめる。と、席順通りに当てられていた教師からの問いかけが、やがて影山くんのところに行き当たりそうになっていると気付いた。
 どうしよう、かな。
 そう思いつつ、こっそりペンの先で影山くんの背中をつついてみた。起きない。こんな些細な衝撃じゃ起きないかな。でもこのままじゃまずいよな、なんて思ってると何と、珍しく影山くんはむくりと顔を上げた。
 そのまま、眠たそうな目が、こちらを振り返る。授業中なのもお構いなしだ。タイミングよくこちらに背を向けている教師の目を掻い潜って、私は小声で「次、当たるよ」とだけ告げた。
 「どこ」、と影山くんは返す。
 教師が板書を終えて、再びこちらに向く。あ、やばい。そう思って前を向くように指差す。影山くんは大人しく私に背を向けた。

「じゃー次。沼野。この意味答えて」
「はーい」

 影山くんの前の前の席の子が示された文章をすらすらと解いていく。その様子を伺いながら私はノートの端をちぎる。そしてそこに教科書のページ数と問題を書くと、教師が沼野さんに注目してる隙に影山くんの背中にとんとんと押し付けた。
 影山くんがその意味に気付き受け取ろうと、手を背中に回す。
 あ、と思った瞬間に、ちょっとだけ影山くんと私の指先が当たってしまった。いきなりのことに動揺して姿勢を戻すと、バランスを崩したペンケースの中から何本かペンが床に落ちてしまった。慌ててそれを拾おうと椅子に座ったまま机の下に屈む。
 前方に落ちたペンを、影山くんの手が拾ってくれたのだと分かった。姿勢を元に戻すと、ペンを私の机に置いてくれていた。それから「わかんねえ」とだけ言い残して、怪しまれないようにさっさと前を向いてしまったから、呆気に取られた。わかんねえって、それだけ。もうちょっと焦ったりしないの。他人のことながら、影山くんより私の方が焦っているような気がする。

「つぎ、佐藤ー」
「はい」

 影山くんの前の席の子が当てられ、立ち上がる。その背中に隠れて、私はペンケースの中に入れていた付箋を一枚取ると、しょうがないなあとペンを走らせた。
 「たぶん、C」とだけ書いて、蛍光ペンに貼り付ける。そのペンで影山くんの背中をつつくと、今度は触れ合うことなく受け取ってもらえた。
 そのタイミングで、影山、と名前を呼ばれる。はい、と影山くんが椅子を立った。
 ギリギリセーフ。そう安心したのも束の間だった。

「おー、珍しく起きてるな。よし、選択肢選べ」
「はい。……たぶん、C」
「たぶんってなんだたぶんって」

 そのまま言うか普通!
 クラスのみんなが先生と影山くんのやり取りに笑う。それに釣られ、私も苦々しく顔を緩ませた。彼は席に着こうとする瞬間、こっちを少しだけ見てすぐに前を向いてしまった。
 その次に当てられ、難なく問題をやり過ごした私はほっと息を吐く。授業の時間ももうすぐ終わる。そんな中で、いつの間にか机の上には影山くんに渡したはずのペンが戻っていた。
 付箋が貼り付けられたままだ。それを手にして、くるりと一周させる、と。

 付箋の端っこに「ありがとう」とだけ書かれてた。ぶわりと体中に熱が集う。

 さっき触れ合った影山くんの指先は少しだけかさついてたけど、温かかった。その温度が私に移ったような気がして、恥ずかしくなった。授業終了のチャイムが鳴り響く。せっかくの昼休みの始まりだというのに、私は暫くこの場から動くことが出来ずにいた。
 再び寝る体勢になっていた影山くんの背中を見つめる。

 好きなんだと思った。