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 午後17時45分、坂ノ下商店、店内。
 ううん、と唸る。勘定スペースには厳つい顔をした烏養さんが相変わらず煙草を吹かしながら、新聞を読み耽っていた。ウォークイン式の冷蔵庫の前に立ち、ガラス一枚隔てた先をじっと見つめる。
 ずらりと並んだペットボトルの中から私は今日も一発でこれ!! という物が決められずにいる。時間にして十五分。こじんまりとした店内で、こうして長時間に渡り滞在しているのは烏野高校全校生徒の中でも私くらいだろう。

「おーい、名前よーまた新記録弾き出すんじゃねえか」

 ぷはあ、という煙と共に吐き出された言葉に、肩がびくりと上下する。後ろを振り向くと、新聞を見ていたはずの烏養さんがにやにやと私と時計を交互に見比べていた。

「……」
「なんだ、ちんちくりん女子高生。一丁前にガン飛ばしやがって」
「……セクハラですよ」

 何とでも言えよ、と烏養さんは笑った。
 他の女の子にはそんな態度取らないくせに、近所の顔見知りだってだけでこんなにも対応に差が出る。
 私がじっとりと睨みつけてる間にもさっさとお目当てのものを買って出て行った烏野生(しかも女子)に、烏養さんは気さくに「まいど」なんて言ってた。
 視線を目の前に戻す。
 鞄の中に入ってる財布にはバイトをしていない高校生相応の中身しか入っていないし、迷っているもの全部を買うことは出来ない。かといって買わない選択肢もない。
 外は湿気染みた空気が漂ってるし、この坂ノ下商店は学校と家との間にある唯一の寄り道場所だ。
 中学の頃は「登下校の寄り道禁止」なんて変な校則のせいで謳歌出来なかった放課後のこの時間を楽しまない手はない。
 指先でひとつひとつ、棚に並ぶ商品をガラス戸の外側からなぞる。水、ウーロン茶、緑茶、ほうじ茶、コーヒー、ストレートの紅茶、ミルクティー、レモンティー、カルピス。炭酸系はそんなに好きじゃないから、選択肢からは外しておく。それでもざっと10種類以上はある。
 ツーッとガラスをなぞっていると烏養さんが「手垢つけんじゃねーよ」と文句を零しながら近付いてきた。その手にははたきが握られている。気だるそうな足取り、さっき咥えていた煙草はもうなくてしゃがみ込んでいた私の真横に立つと、怪訝そうにウォークインの中を覗き込む。

「誰が掃除すると思ってんだよ」
「烏養さん」
「おおそうだよ。分かってんならちったあ店内美化に協力しろ」
「でも私、客ですし」
「で? どれとどれで迷ってんだよ」
「話聞いてますか」
「いーからいーから」

 うまくもへたでもない交わし方に私は渋々目の前のガラスを爪で叩いてみる。「これ、」と緑色したパッケージのお茶を指した。

「と?」

 促され、指をわずかに左へ進める。

「これ」
「ふうん」
「……と、これ、……とこれとこれ。あ、でもこれも」
「……」

 次々と商品を指し示してく中でも烏養さんの感情がひしひしと伝わる。長年の付き合いで分かるというか、嬉しくないけど何となく感じ取ってしまう。いま隣にいるこの店の跡取り様は、盛大に呆れ返っているに違いない。
 それを覚悟で言ったわけだから、私も何も言えない。ただ唇を尖らせて「聞いてきたのはそっちですし」と負け惜しみなのか文句なのかよく分からない種類の言葉を続けた。

「毎度毎度よく迷えるよな、お前さんも」
「好きで迷ってるんじゃないです」
「いつからンな立派な優柔不断様になったんだんだよお前は」
「え、えへ」
「その調子で部活も入り損ねたんだろ?」
「えへへへ、へへ」
「言っとくが褒めてねえぞ、盛大に貶してんだからな。な?」

 ぱたぱたとスカートを叩き、私は立ち上がった。二十分が経過して、さすがに烏養さんが言うとおり「買いたいものを決められずに悩んでいる時間」を更新してしまうかもしれないと踏んだからだ。
 立ち上がったところで心に光が差すわけでもないけど、とりあえずそうしてみた。すると烏養さんは、しょうがねえなあと言いながらウォークインの横にある棚へと行ってしまった。
 それから何かを手にして私の元へ戻ってくる。差し出されたものを反射的に受け取って、それから「えええ」と不快な声を出した。

「ちんちくりんはそれでも飲んでろ」
「乳製品はあんま」
「好き嫌いしてんじゃねえよ。牛乳じゃなくて飲むヨーグルトにしてやっただけ有難いと思え」
「……」
「むくれんな」
「じゃあ烏養さんも有難いと思ってください」
「はあ?」
「私、お客さんだし」

 350ミリリットルの小さな紙パックを持つと、指先がひんやりとした。充分に冷やされたそれで指が一気に潤う感じは嫌いじゃないけど、肝心の中身を想像してみる。
 体にいいのは確かだ。でも酸っぱいのか甘いのかどっちなのか分からない味は好きじゃない。と、言おうとしてやめた。
 買いたいもの一つ決められない私が言うべき台詞じゃない。飲むヨーグルトの曖昧な味が自分の優柔不断さを表してるようでなんとなく同属嫌悪した。でもまあ、たまにはいいかもしれない。素直にそれを烏養さんの前に差し出す。

「これにします」
「35分。新記録達成おめでとーさん」
「えっ」
「達成記念に奢ってやろ」
「嬉しくないです」
「いいから持ってけよドロボー」
「や、だから私、お客さんですってば」

 レジに備え付けてある店のテープがバーコード部分にぺたりと貼り付けられる。良いから良いからと半ば投げやりにも見える烏養さんに勧められるがまま、私は再び紙パックを握り締めた。ひんやりする。
 けれどその冷気を掻き消すように店の扉が開かれ、外の生温い風がふわりと入り込んできた。

「やったー! 俺が一番!」

 入り込んできたのは、風だけじゃなかった。
 げっ、と烏養さんが苦々しい声を出す。その意味も分からないまま、視線を移した先。あっという間に店内は騒々しさに包まれた。思考が追いつかないまま、目の前の光景に唖然とする。
 握り締めた紙パックの側面がぺこりと凹んだ。