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 ゆったりとした坂を下っていく。影山くんの歩調に合わせると、私の足は自然と早歩きになる。元々体力もそんなにあるわけじゃないし、鍛えてないから彼を追ってものの数分で簡単に息が上がってしまった。

「か、げやまく、ん」

 途切れ途切れになりながら「待って、早い」と、どうにかこうにか伝えると彼がちょっとびっくりした顔でこっちを振り向いたから私まで驚いた。
 よく分からないけど、なぜか、影山くんが驚いてる。顎に手を宛がって何かを考えて、すぐに唸るような「あ〜〜〜」という声を上げて自分の髪をかき乱していた。ますます訳がわからなくなる。

「う、はあ、つ、疲れた……どうしたの、影山くん」

 息切れを抑えようと、呼吸を浅く短く繰り返す。
 ウォーキングなんてレベルの速さじゃなかった。競歩みたいなものを数分しただけで、この有様だ。体力つけなくちゃなあ、なんて喉の辺りを押さえながら視線だけを影山くんに向ける。彼は私とは対称的に、全然息切れしてなかった。さすがだ。
 ジャージのポケットに手を入れたままの影山くんを見上げる。ちょうど外灯の光が彼の背後にあるから、表情はうまく読み取れない。
 でも、どうして唇を噛み締めているんだろう。どうして、息切れもしてないのに苦しそうに目を細めて、私を見ているのだろう。

「……悪い」
「え、や、いきなり速くなったから、びっくりしただけで。むしろこっちがごめんね」
「何で」
「え?」
「何で苗字が謝るんだよ」

 苦々しく、歪められた表情。
 逆光のせいで、その色が深く見える。悲しそうで寂しそうで。こんな影山くんを見たのは初めてだ。どうしたの、という問いかけに彼は答えなかった。
 ただ、こちらをじっと見据えてる。まるでさっき烏養さんに聞きたいことがある、と言ったときと同じように。
 あ、と私は何かに気付く。

「影山くん」
「……」
「あのさ。何か、……私に聞きたいことあったりする?」
「……は?」
「や、違ったらいいんだけど!」

 もしかしたらそうなんじゃないかなって、と取り繕うように続けると、影山くんはちょっと考えた素振りをしてから「何で分かったんだよ」と言った。
 ぱちん、と外灯に虫か何かがぶつかる音がする。風もなく、車も走らない公道。もうちょっと先に行ったらバス停の通ってる大きな道路がある。その先から微かに車の走る音だけが聞こえていた。

「さっきも烏養さんのことじっと見てから、聞きたいことあるって言ってたから。そうなんじゃないかなあって。……ただの勘だけど」

 でもどうやらその勘は正しかったみたいだ。影山くんが「苗字は、」と切り出す。心がざわりと何かに撫でられたような感じがした。

「……い、んだな」
「え?」
「いや、やっぱいい」
「え、え?」
「何でもねえ」

 影山くんははっと我に返ったみたいに口を手で抑えると、それ以上何も言わないままくるりと身を翻して、再び歩き出してしまった。
 全部は聞き取れなかった。
 だけど、何となく伝わった単語を内心だけで反復する。『コーチ』、『仲良い』、? そこから私に聞きたいってことの全貌は見えない。頭の中にいくつもの疑問符を浮かべていると、前から「お前ん家どこだよ」とちょっと大きい声で影山くんが聞いてきたから、仕方なしに考えるのをやめて、私は駆け足で影山くんの元へと向かうことにした。
 考えたって仕方がない。
 それでもさっき見た影山くんの少し苦しそうな表情だけは、彼と別れて家に帰ってからもずっと脳裏にこびりついたままだった。