教室に貼る掲示物を職員室で受け取った私は、筒状に留められたポスターを二本持ちながら渡り廊下を歩いていた。昼下がりの休み時間。色んな学年の生徒がそこここに居て、それぞれ思い思いの時間を過ごしている。
校舎と校舎の間にある渡り廊下は燦々と日が差し込んでいた。ここからだと校舎の先や中庭や体育館の屋根が見える。その光景をぼーっと眺めながら歩いていた私の視界に、ふと影山くんの姿が入り込んだ。
どこ行くんだろ。そんな疑問もすぐに晴れる。彼の向かう先には中庭に設置された自動販売機が並んでいたからだ。
何となく私は忍び足になってその後を追いかける。影山くんはまだ気付いてない。
目的の自販機に到着し、小銭を投入してからボタンを押そうとした影山くんの背後から、私は手を伸ばした。
「は?!」
影山くんの奇声と共にガコンと音がして紙パックの落ちる音がした。振り返った彼はすごい怖い顔をしていた。相手が誰だろうが関係ねえって感じの形相だった。
「苗字」
「やほー」
「何勝手に押してんだよ!」
「まあまあ。お目当てはこれでしょ?」
ちょっと怖い。でもそれに怯む素振りを見せないように、にんまりと笑ってから取り出し口から商品を掴んだ。
「はい」
「……おう」
それを見て、影山くんの雰囲気が多少緩む。たぶん、他のものを買わされたと思ったんだろう。そこまで意地悪じゃないよ、と言うと「充分タチ悪いから」と苦情を飛ばされた。
「つーか何してんだよソレ」
ストローを伸ばし、影山くんは飲むヨーグルトに口を付ける。それから私の持ってる二本の筒を指差した。
ええと、と先生が丸める前に見たポスターの中身を思い出しながら私は答えた。
「春の交通週間と、なんだっけ」
「は?」
「なんかわかんない。掲示物。先生が教室に貼れって」
ふうん、と相槌が返ってくる。ちょっと小さい声だったせいか、昼休みの中庭から聞こえる騒がしい声と交じり合っていて、聞き取り辛かった。
一歩だけ、影山くんと距離を詰める。
影山くんは身長が多いから、上を向かなければ視線が交差することはない。だから、それくらいは大丈夫だろうと思った。
「学級委員だっけ」
「そうだよ」
「ふうん」
さっきと同じ影山くんの言葉が、近くにいるせいか今度はちゃんと聞き取れた。
「どれ?」
「え?」
「苗字はどれ飲む」
「……あー、や、私お金持って来てないから。自販機に来たのも影山くんいたからちょっとからかってみようかなーって」
「あ?」
「嘘、冗談です」
「……別にいいけど。で、どれだよ」
ずずっとパックを啜る音、遠くにある歓声よりずっとリアルな感覚。影山くんが近くにいるっていう、何だかよく分からない嬉しさ。
「え、だから買わ」
「そうじゃねえって」
教室じゃ感じられない。机一個分と椅子の背もたれに隔てられた等間隔の距離じゃなくて、今は自分が望めば、縮められる。
「奢ってやるって言ってんだよ」
その自由さが嬉しかった。一体、私はどうしてしまったんだろう。
思わずポスターを握り締めてしまったせいで、ぺこりとその空洞が潰れてしまった。あとで怒られてしまうかもしれないけど、他にどうしたらいいか分からなかったから許してください。
そんな、誰に向かって言ってるのかわからない懺悔をしながら、「飲むヨーグルト」と言った。上を向かなくても分かる。影山くんはたぶん、ちょっとだけ笑ってくれてる。気がする。