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「うーかーいさーん」
「んだよ。決まったのか?」
「んー、まだー」
「なんだよ最短記録更新かと思ったのに」
「セッターってどういう感じ?」
「はあ?」

 ウォークインじゃなくて今日はレジのすぐ脇にある保温ケースの前だ。何種類かある中華まんの中で、私の目は見事に移り変わって移り変わって、一つの焦点に絞れずにいた。
 漫画雑誌を見つめていた顔を上げて、烏養さんは私の声に不思議そうな表情を浮かべた。

「なに。あれほど俺が現役ん時にスコアブック見せても興味なさそうだったのに」
「子供の頃の話なんで」
「挙げ句紙に食ってたチョコレート落としたりとかしやがったくせに」
「子供の頃の話なんで!!」

 「今だって充分ガキだろーが」と吐き捨てた烏養さんを睨み返しながら、私は財布を取り出す。その仕草に彼は「お、決まったのか」と物珍しそうな表情を浮かべた。だけど残念ながら決まらない。いつ決まっても良いように、準備してるだけ。首を振った私に、興味を失くした烏養さんは漫画雑誌に目を戻した。

「なんとなく。今日うちのバレー部見て」
「いい男がいたってか?」
「……セクハラだ」
「お前のセクハラの定義広すぎ」

 目を上下に移動させる。
 春が来たといっても東北の夜は、まだまだひんやりしてる。暦の上じゃとっくに脱いでもおかしくない厚手のカーディガンの袖を指でいじりながら、私はどれにしようという選択肢から逃げるように思考を別の方へ向けた。

「……知識として知っておきたいなって思っただけで」
「ふうん?」
「嫌な相槌の仕方」

 大人ってのはみんなこうなのか、と私は忌々しさを募らせた。何でもお見通しだぜ、と言わんばかりに含む笑いを浮かべて、余裕を醸し出して。子どもの一挙一動に全く左右されない烏養さんの様子に流されて溜まるもんかと身構える。
 そうこうしてると彼は勘定台に置いていた煙草のケースを取るとその中から一本を摘み上げ、口に咥えた。このご時世、店内禁煙だってところが多いのにここは変に昔のままだ。彼の祖父がまだ現役で、この店を切り盛りしていた時にも同じ光景を見たことがある。幼いときの記憶。それとぴったり重なるように烏養さんはその後を辿ろうとしてる。

「セッターっつうのはあれだな、バレーの司令塔だ」
「司令塔」

 ライターに火を灯しながら紡がれた単語を反復してみる。声に出してみるとその言葉の意味がしっくり馴染んで、私は「すごい人なんですね」と純粋で単純な感想を零した。
 後頭部を掻きながら、どこか複雑そうに烏養さんは「すごい、ねえ」と呟いた。その間に烏野の学生が来店する。別に愛想笑いを表立って主張しない烏養さんは「らっしゃい」と声を上げるだけに留めて、そのまま私へ言葉を続ける。

「すごいっつうかなあ……変人が多い。ま、俺もやってたけどよ」
「じゃあ烏養さんも変人なんですね」
「バカヤロー俺は別だよ」
「えええ」
「アタッカーは言っちまえば、色んなところに色んなやつらが大勢いる。ボールをぶっ叩くのはスカッとするしな。大体の奴がやりたがる」
「しかも話逸らした!」
「うるせーな。とにかく! そんな中でセッターを選ぶやつはよっぽどセッターに思い入れがあるか、ゲームメイクが好きか、尽くしたがりか、逆に横暴かのどれかだ」

 へえ、と相槌を打つ。
 それじゃあ、影山くんはどれだろう。尽くしたがりには見えないし、かといって横暴かと言われたら私の知る限り影山くんは横暴じゃない。ちょっと怖いくらいだ。じゃあ、変人? よくわかんない。でも、セッターっていうポジションがどれほど重要なのかってことは分かった。結果、また影山くんが更に遠く感じたことは、今はあまり考えないでおこう。

 いち早く購入する商品を決めた烏野生が烏養さんの前に立つ。まいどーと気の抜けた対応してる烏養さんを見ながら、おばさんに怒られても知らないよ、と心の中でこっそり呟いて、烏養さんにあんまんを注文した。ほとんど直感だった。

「おう。10分か。早いじゃねえか」
「……どーもありがとーございます」
「へっ、可愛げのねえ礼なんざ嬉しくもねえ。と、これもか」
「はい」
「そんじゃ210円」
「はーい」

 あんまんと一緒に買った飲むヨーグルトにシールが貼られる。今日は飲み物では迷わなかった。何となく、こないだ買ったやつと同じものを選んだ。特に意味はないけど、昼休みに影山くんが同じものを飲んでいたのを思い出した。何だろう、真似してるみたいで自分を変だなって思った。一歩間違えたたら危ない域に属されそう。控えよう。
 保温機から取り出されたあんまんを受け取ると、同時に烏養さんの背後に置いてある黒電話がけたたましく鳴り響いた。

「おら、ガキはさっさと帰りな」

 しっしっと追い払うように手を振られ、客のはずの私はその対応に唇を尖らせた。でもここで何か言うわけにもいかない。電話が早く出て! と叫ぶかのようにずっと鳴り響いているからだ。烏養さんがかったるそうに受話器に手を伸ばす。

「あい坂ノ下商店」

 これまた愛想の欠片もない出方。何か烏養さんに意地悪されたときとか、おばさんに告げ口してやろうかな。そんなことを思いながら、私は店を出た。
 あんまんの包まれた薄い紙越しに、温かみがじんわりと指先に広がる。一口含むと、じわりと甘い味が広がって、顔が自然と綻んだ。

 それから烏養さんから聞いたことを思い出す。

 『そんな中でセッターを選ぶやつらはよっぽどセッターに思い入れがあるか、ゲームメイクが好きか、尽くしたがりか逆に横暴かのどれかだ』

 結局、影山くんはどれに当て嵌まるのかな。あんなに楽しそうにやってるんだから、思い入れがあるのかな。どうしてセッターをやってるのかな。そんな疑問がぽんぽんといくつも浮かんでは消えていく。
 いつか、もう少し距離が縮んだら、聞いてみたい。そんなことを思いながら、私は家路へと着いた。その「いつか」が達成できる日を楽しみだなと素直に思った。

 だから、影山くんが「王様」と呼ばれていたという話を聞いたときは本当にびっくりした。