お題 | ナノ







 これは夢ですか、と眼前の彼に問いかけた。ええっと、うん、そうかもね、でもどうだろう。迷い癖は夢の中でも健在らしい。私の体に跨るように彼は私を見下ろして、きょろきょろと動揺を押し隠すように視線を絶えず動かせていた。周囲に散ばる書簡や資料の数々。舞い上がった埃が、喉の奥の奥まで入り込んでしまったのか、けほっと乾いた咳が出た。

「雷蔵先輩」
「え、と」
「とりあえず、事故ならどきましょう」
「そ、そうだね」

 同意したにもかかわらず彼は私の上からどこうとしない。それどこからこちらを見下ろしては、うーん、えーと、と唸る始末。いよいよ意味が分からなくなって、私は首を傾げた。
 埃臭い図書室の片隅。歴史物の小説が置かれている区画。戦術や火器関係の棚は放課後になると常にひとがいるような状態だけど、ここはそう滅多に人が通らない。物好きな読書家や、図書委員くらいだ。つまり私と、雷蔵先輩。軽く談笑していた私たちの間に、無造作に棚の上に置かれていた分厚い資料がバランスを崩して降ってきたのだ。それがほんの数分前の出来事。
 で、今はこうして自分の上に先輩がいる。鮮明に思い出せるってことはやっぱりこれは夢じゃないんだろう。手首を押さえつけるように重ねられている雷蔵先輩の手のひらが温かくて痛い。やっぱり現実だ。

 こう言っては何だけど女性にそこまで免疫のなさそうな雷蔵先輩が、じっと私を見下ろしている図も変な感じだ。てっきり慌てふためいて、どけるかと思っていたのに。意外な彼の一面に、拘束されていた手の指先を動かしながら「雷蔵先輩」と呼んだ。

「腕、」
「ああ、ごめんね」
「って言いながら、何で動こうとしないのか分からないんですけど」
「あはは。でもこれ、夢なのかなあって」
「たぶん、現実ですけど」
「だよね」

 どこか諦めたような、悲しそうな顔。こんな表情をした先輩なんて見たことない。一体どうしたんですか、と聞くかわりに「もし、」と口を開く。

「もし、これが夢だったら?」
「……だったら、勿体ない気がして」
「はあ」
「いいよ、忘れて。ごめんね」

 ずしりとした圧力が消える。私の上から体をどかせた先輩はあちこちに散ばる本を「掃除行き届いてないなあ」と苦笑を零しながら、片付け始めた。寝そべったまま、視線だけを横へ向ける。
 手首にくっきりと残された跡。じんじんと熱を孕み続けて、その存在を強く主張していた。忘れてと訴えるには、強過ぎる痛み。無理な話ですよ、と私は笑った。