お題 | ナノ







 こりゃ当分止まないねえ、と煩雑な声が木霊した。片膝を立てたまま、凌統殿は壁に凭れかかった。片手には臨戦態勢と言いたげに両節棍が握られている。
 外は土砂降りの雨が降っていた。肩で息をしていた私は、辺りを見渡す。破壊されたまま放ったらかしにされていた門扉。戦場となっていた場所からは少し距離がある。散らかされたままの室内はかつて人が住んでいた形跡がそこここに残っている。その住人がどうなったか、という想像は今はしたくなかった。
 多勢に無勢だった状況からやっとのことで逃げ込んできた今、こちらの軍勢の旗色はかなり悪い。幸いなことに二人とも命に関わるような大きな怪我はなかったけど、基幹の集団とははぐれてしまった。合戦の外れといってもいつ敵が突っ込んでくるかも分からない。加えてこの土砂降りの雨だ。足音も武装の音も何もかもが掻き消されてしまう。
 これで最期になるかもしれないという想定はいつの時だってしてきた。でもそれを改めて目の前に突きつけられてみると、そこには想像以上の恐怖が存在していると知る。戦で死は隣り合わせ。分かっていたはずだ。でも怖い。一人だったらきっと泣き出していただろう。
 凌統殿は目を閉じ、短い時間ながらも体力の回復を試みているようだった。その姿に安堵は隠しきれない。この人が一緒でよかった、と思う。実力もさることながら、彼の安穏とした口調は場の緊張感も私の恐怖も薄れさせてくれるからだ。同時に、凌統殿には恐怖というものがないのかと思った。
 雨の音に耳を傾ける。雑音は、ない。それを確認してから、私の隣に座る凌統殿の名を小さく呼んだ。

「ん?」
「あ、目は、その。そのままで良いんで、一つだけ聞いても良いですか」
「いいよ」

 柔らかい同意。ますます彼という人物が分からなくなる。いつだって応戦できるように気を張り巡らせて、一瞬の間も緊張の糸を解かないくせに。仲間に向ける声色はこんなにも優しい。それが強さなのだといわれたら、きっと何も言い返せなくなる。

「凌統殿は、怖いと思いますか?」
「今の状況を?」

 頷くと、そうだなあ、と彼は逡巡した。目を開き、その視線は絶えず門扉に向けられている。厳しくて、強い眼差し。壁に叩きつけられる雨脚がより一層激しさを増していた。
 答えが知りたい。その一心で、私は隣の凌統殿を凝視する。「そんなに見つめられると照れるねえ」と彼が顔を綻ばせた。

「見張りは凌統殿がしているようですから。私も目の行き場が欲しくて」
「別にこっちに向けなくてもいいじゃないか」
「察してください」
「ん?」
「私は、強くないので」

 少しの一瞬でも安心していたいのです。
 そう吐露すると彼は僅かに瞠目してそれから「そうかなあ」と告げた。首を傾げる。

「口に出してちゃんと言える分、俺よか強いと思うけどね」
「そんなことはないです」
「いや」

 雨に濡れた髪の毛先から雫がこぼれ落ちて手の甲に当たる。冷たかった。背筋を預けている壁の冷たさも、少しでも加重をずらせばぎしりと鳴き声を上げる床も、部屋に充満する雨の匂いも何もかも。

「生き残れるよ、アンタ」
「……そうでしょうか」
「俺が付いてるからね」
「そういうことでしたら。もちろん心強いです」
「そんで、俺も生き残れる」
「そりゃあ、強いですから」
「あんたが付いてるからな」
「……そう、でしょうか」

 その中で彼の言葉だけはとてもとても温かく私に寄り添うように存在していたのだった。