お題 | ナノ






(世界崩壊後)

 恭介くん、とクラスの女子がこちらの席に歩み寄りながら、私の前に座る男に話しかけた。
 復帰直後に数人の仲間を引き連れ学校を抜け出した罰として科せられた反省文なんて手も付けず、漫画雑誌を読み耽っていた彼が顔を上げる。それに釣られるように、彼と向き合う形で前の席に座っていた私も目線を上へとずらした。
 控えめな態度で邪魔してごめんなさい、から始まり彼女は視線を宙へ一度彷徨わせた後で自身の背後を振り返った。彼女の背中越しに私たちは教室前方の扉へと顔を向ける。

「恭介くんのこと、呼んでる」
「え?」

 言われた本人ではなく、私が驚きの声を上げてしまった。咄嗟に間違えた、と冷や汗が出るけど別に恭介は気にしているようでもなかった。ただ眺めていた漫画雑誌をぱたんと閉じると、一つ、深い溜息を零す。
 じゃあ、とクラスメートはそれっきり私たちと関わりを絶った。特別仲の良い関係ではないから当たり前っちゃ当たり前だろう。そんなことを思いながら、もう一度扉の方へ目を向ける。
 さっきの彼女同様、控えめそうな女の子が一人佇んでいた。顔は見たことある。でも名前は分からない。たぶん、同学年だろう。見解は恭介もどうやら同じようだった。「知り合い?」と尋ねると僅かに眉間に皺が寄った。

「いや。俺の記憶では彼女との関わりはない」
「へえ」
「だがもしかしたらどこかで出会っているのかもしれないな」
「つまり忘れてるってこと?」
「……違う、可能性の一つとして挙げたまでだ」
「でもそれってつまり忘れてるってことでしょ? 最悪だ」
「……」
「告白だろうね」

 早く行ってあげなよ。
 促すようにしっしっと手を払うと、恭介はあからさまに不機嫌そうな顔をして「それが同級生に接する態度か」とややオーバーリアクションで泣き真似をし始めた。それはリトルバスターズのメンバーとして、下級生と仲良くしてる時に見せる随分とはっちゃけた態度にとても似ていた。
 今まで恭介は自分のクラスではひたすらに自分の世界に入り込むタイプだった。元々容姿端麗だから、それが原因でクラスから邪険にされたり浮いた存在になったりということはない。ただ、近寄り難いというイメージはあった。漫画やら雑誌やら様々な暇つぶしを一人で没頭し、周りなんてお構いなし。話しかけられたらそれなりには対応するから、反感を買うこともそれほどない。
 いい意味で、憎い奴だった。
 それが最近はどうだろう。下級生の修学旅行に付いていって、不幸な事故に巻き込まれて退院してきた恭介は前とはどこか変わっていた。
 積極的にクラスと関わろうとしない態度は相変わらずだけど。話してみると分かる。以前よりもぐっと表情に種類が増えたのだ。

「いや、でも……やっぱり記憶にはないぞ」
「だったらあれじゃない。遠くからずっと見てましたってやつ」
「何?! 俺の行動は逐一監視されていたのか?」
「あー、確かに。恋心と監視は紙一重かも」
「どこのスパイだ……あの世界は完全に消滅したはずだ」
「漫画の読み過ぎ」

 元々恭介とは中学の頃から腐れ縁みたいな間柄だった私はその変化に未だ馴染めずにいる。退院した恭介に面と向かって「あんた本当に恭介?」と聞いたくらいだ。もっともその時さえ「ふっ……お前の知ってる恭介はもういない。そう、俺は生まれ変わったのさ」なんて茶番染みた答えしか返してくれなかった。

「ここで俺には選択肢が用意されている」
「呼び出しに応じる以外で?」
「そうだ。男らしく彼女の強い思いを受け止める覚悟を、今この数分間で決めるか」
「それか?」
「潔くスルーする」
「最悪だ!」
「冗談だよ冗談」

 やれやれ、と恭介はようやく立ち上がった。扉付近にはまだ見知らぬ女生徒がおろおろと立ち尽くしている。これから想い人に自分の気持ちを伝えようっていうときに、数分間でも放ったらかしにされていればそりゃ不安にもなるだろう。

「恋する乙女は不安定なんだから。早く行きなよ」
「……」
「なによ」

 生まれ変わった。
 それはある意味、真実なのかもしれない。私に記憶はない。でも、たまに。本当にたまにだけ、夢に見る。夢の中で恭介はある一つのことを成し遂げようとして必死にもがいて、何度も同じことを繰り返して、何度もそれを達成しようと奔走していた。詳しい状況は分からない。でもそうしている内に取り返しの付かない過ちを犯して、心を閉ざした。夢だからって笑って話せる内容じゃないから恭介にこの話はしていない。でも、

『俺はどこで間違えた』

 そう言って絶望に暮れる顔は、よく覚えている。まるで本当にあったことのように。もしそんな経験を本当に乗り越えてきたとしたら。

「お前も恋してるのか」
「は?」
「知った風に言うから。そうかそうか。お前にもとうとう春が来たかあ」
「……っいいからさっさと言って玉砕してこい!!」
「俺がかよ!」

 私の知ってる恭介は本当にいないのかもしれない。
 だからこの想いを告げるのは今じゃない。そう思えて仕方がないくらい、今の恭介は私にとって眩しい存在なのだ。だから少しでも近くにいられるなら、
 そう思うだけで私は精一杯だった。いつか、私も恭介やリトルバスターズのみんなみたいに強くなれたら。些細な決意を内心だけで固めながら、恭介の背中を見送った。
 
恐れ多くもあなたに、恋をしています。