201105~ | ナノ


 夜の空は瞬く星達で埋め尽くされていて、私は圧巻の声を上げた。ここはとても美しく、静かで、特別な場所です。そう言って私の手を取り、陸遜が連れて来てくれた場所は建業の街を一望できる丘陵だった。静かな風が吹き、穏やかな沈黙の中で瞬く星を見上げる。

「気に入って頂けて何よりです」
「本当に、星が近い」
「ええ、掴めそうなほどに」

 本当かな。確かめるように手を伸ばしてみる。隣にいる陸遜がくすりと小さく笑ったような気がした。

「どうしたの?」
「いえ、まさか手を伸ばすとは思わなくて。つい」
「だって、掴めそうとか言うから」
「すみません」
「ねえ陸遜」

 はい、と快活な声が返ってきて、吸い寄せられるように彼の顔を見た。綺麗な顔立ち。闇夜の中であっても、その強い瞳の光は一切揺るがない。
 強くて、綺麗で、聡明で、器用で。とにかく褒め言葉ばかりが浮かぶ陸遜の存在に、私は一瞬眩しさを覚えてしまった。どうしてそんな素晴らしい人が私みたいな奴に何かと気を遣ってくれるのだろうか。そんな疑問が沸々と湧き上がって、その痛みを必死に押し隠す。そして、思い止まる。友人として接してくれる彼に、そんな感情を抱くのは失礼に当たるだろう。

「……あのね」
「何でしょう」
「星って、どうやったら掴めるのかな」
「はい?」
「無理だって分かってるけど、叶わないって分かってるけど。でもやっぱりちょっと望んじゃったりするんだ」

 例えるなら、星のように手の届かない存在。
 友人として傍に居てくれる、だけど触れることの出来ない彼は、今見上げている星空そのものだと思った。掴もうとしても掴めない。どうにもならない、一方的な感情だ。

 暫く逡巡してから、陸遜は言った。「掴みたい。そう願うのが大事なのではないでしょうか」私は顔を、上げる。星空を背に、陸遜はどこまでも穏やかに笑っていた。

「最初から諦めていては何事も大成されません故、肝心なのはその心持ちです」
「そういうもの?」
「ええ」

 両腰に携えた彼の双剣が輝きを放つ。やけに説得力に満ちたものだと私は感心した。望んだことを、願いを、彼はその文武で以って叶えてきたのだろう。
 それは彼だからこそ、なし得てこれたもの。何の力もない私に、それが果たして出来るのだろうか。

「……出来るかなあ」
「ならば」

 金属音がした。それが彼の双剣の柄同士がぶつかり合った音だと把握するやいなや、私は驚きの声を上げた。彼が、私に対し膝を着いていたからだ。主に従う兵のごとく。

「私が今一度手本となりましょう」
「て、ほん? ていうか、陸遜、顔上げ」
「あなたにこの場所をお教えした対価……としては随分釣りあいのないものなのですが」
「……え?」
「この陸伯言の予ねてからの願いを、どうか受け入れて頂きたいのです」

 いつも以上に丁寧さを帯びた言葉遣い、そして差し出された彼の右腕。何を、どう、反応したらいいのかも分からず私は俯いた。
 きっと今の自分の顔は、とても赤いはずだ。闇がいくらかそのことを誤魔化してくれているとはいえ、羞恥の心は消えない。それでも今が夜で、本当に良かった。その発端である陸遜は未だ私に跪いたままだ。彼の手のひらが、空を仰ぐ。

 触れたい。そんな衝動に駆られた。
 彼の手は冷たいのだろうか、それとも優しさに満ちた暖かさなのだろうか。知りたい、そして包まれたいと。

「なまえ殿」
「……はい」
「幾億の星よりも何よりも、どうか私の手を取っては頂けませんか」

 鼓動が一つ、二つ、刻まれる。自分の中でそれを十まで数えたところで私は、そっとその手に触れた。



20110515
title/hum.