201105~ | ナノ



 学校の帰り道。久しぶりに電車に乗ろうと言った雅治の背中を追った。道中、どこにいくのと訪ねるこちらの声を徹底的に無視したくせに、やつは電車の扉が閉まると出し抜けにこう言った。

「お前、俺のこと嫌いじゃなかろ」

 まず仮定しよう。私と彼が他人だったらこんな感情は抱かなかったはずだ。イコール、肯定。認めたくないけれど、私の感情は仁王雅治という他人の行動によって大きく左右されてしまっている。
 がたんと一度大きく揺れた後、車体がゆっくりと動き出した。雅治の部活が休みなのをいいことに二人で授業を抜け出した昼下がり、電車内に乗客はまばらだった。
 悔しいと言ったところで彼の楽しみの種を増やすことにしかならない。せめてもの抵抗だった。彼に見つからないよう唇を一度強く噛んで、憤りを発散させる。次に見た雅治の表情は、「無」。まさになにも考えていないといったものだった。
 つまらないと思ったのだろう。取り乱すと想定していたのだろう。

「残念、だけど」

 久しぶりに喉を通った声は驚くほど掠れていた。情けない、それが彼に伝わらないでほしい。そんなことを切に願いながら、つり革に右手を掛ける。

「人生何事も、雅治の思い通りになんてならないと思うの」
「そらそうじゃろ」
「じゃあそんなこと聞かないで白々しいから」
「人生は思い通りにならん。それは真理じゃ。お前さんもたまにはかっこええこと言うのう」
「バカにしてる?」
「おお、バカにしとる」
「殴ってもいい?」
「おお、こわ」

 肩をすくませ、大袈裟に彼は戦いて見せた。両手をそれぞれつり革に掛け、そのまままっすぐ電車の外を見つめる。街の風景が滑るように流れていった。小刻みの振動に体を揺らす。揺りかごに乗せられた赤ん坊の気持ちがいまなら分かる。この振動は、なかなか悪くない。もっともラッシュ時は地獄のようだけど。
 ひとはいないけれど雅治も私も座ることはしなかった。そういう気分ではなかったし、窓から降り注ぐ日差しがなかなか暖かくて、ふかふかの椅子に肌を寄せることを嫌ったからだ。ゆらゆらと振動に身を任せ、時折開くドアの音に耳を傾ける以外することのない車内。ドアの上部に貼り付けられた路線図を見る。
 自分が乗った駅から、先ほどアナウンスのあった駅名の区間を数えてみたら意外にも通過点が多かった。そして徐々に車内から人が姿を消していく。この先になにがあるのか。それを確認すると同時に小さく欠伸を噛んでいた雅治の名前を呼んだ。

「もしかして、海?」
「……プリッ」
「雅治、私、海嫌い」
「好き嫌いはいかんぜよ」
「だってクラゲこわい」
「安心しんしゃい。俺も海は苦手じゃ」
「えっ」
「日差しがきつい海は特にのう。暑くて叶わん」
「え、えー」

 それじゃあなぜ、向かってるのか。そんな疑問符をたくさん浮かべたこちらの
質問に答える気があるのかないのか。雅治は目を細め、遠くを見つめていた。そこにあるはずもない海の青さを認識するように。
 
 がたん、がたん。
 電車が揺れる。

 息を、ゆっくりと呑み込んだ。気まぐれで嘘つきで、利己的な彼の言動にほらまた、左右されている。それを悔しいと思うことは、慣れているはずなのにいつも感情の波を荒くするのだ。引いては寄せて、寄せては引いて。気まぐれにこちらの隙をつついていく。ペテン師にとって、女一人の感情を揺るがすことなど造作もないと自慢するかのように。

「でも嫌いじゃなかろ」
「え」
「……海も」
「……も、?」
「俺んことも」
「しら、ない」

 けれど、と私は雅治の視線に釣られるように窓の外へと顔を向けた。
 好き嫌いはいかんぜよと言った雅治の表情を思い出す。無表情から一変、あれはまるで懇願のようだったと今更ながら理解する。

「雅治がそう思いたいなら、いいと思う」

 かたんかたん。
 カーブに差し掛かった電車の中で、二人が揺れる。終着駅の名前をアナウンスする放送が終わると同時に、一際大きな振動が身を包んだ。

「素直じゃないのう」

 ゆれて、ゆれて。
 隣にいた彼との距離が、やがて縮まっていく。




20110923 /ぼやき電車