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a.「生活は変わった」
戻ったと言ってもいいかもしれない。
長い休みは終わりを告げ、次に待っていたのは相変わらず欠伸が途絶えることのない暇な授業だった。
ペンを回そうが空想しようが欠伸はそれが日課になってしまったのかと疑いたくなるほど、わたしは口を手で覆う。
等間隔じゃないのか、と暇つぶしに時間を計ろうかなと思いついたとき、彼の姿を自分の目が捉えた。
始めから、見定まっていたかのように。

そういえばこの夏で、一つだけ心残りがあるのです。

徐々に瞑りそうな目を先ほどは口に宛てていた手で擦る。
その衝撃でぼやけた視界の中、教師が書いている黒板の文字はいつも以上にミミズみたいだった。



b.「なんだよこんな時間に」
訝しさを全面に出した御幸の声色が聞こえる。
青心寮と書かれた門を潜ってわたしと御幸は公道に足を踏み入れた。
近くに公園があったはず、と首を左右に振りながらわたしはんー、とだけ言葉を返す。
生返事、それは彼を少しだけ不機嫌にさせるものだったらしい。
珍しくわたしの後を付いてくる彼の足音が微かだけど、小さくなった。
それらしい木々の生い茂る場所を確認したわたしは反対に足を速める。

「おい」
「んー」
「同じ返事は要らねぇ」
「なーに」
「なーに、はこっちの台詞だ、何の用だよこんな時間に」
「さて何でしょう?」
「は、まさかお前……」
「うん?」
「アオ、……いや何でもねぇ。睨むな」

冗談も程ほどにわたし達は公園の入り口を見つけ、更に足を進める。
スニーカーが驚くほど軽く感じるのはこれからすることに楽しみを抱いてるからだと勝手に思い込んだ。
持っていた紙袋の中から未開封のビニール袋を取り出して、わたしは漸くそこで種明かしをした。
あんぐりと口を開けた御幸が小さく呟いた。花火?

正解です。

にっこりと精一杯笑ってみせたわたしに呼応するように御幸も笑ってくれた。
それをきっかけにわたしは紙袋から次々に物を取り出す。
ライター、念のためのマッチ、ろうそく、少しだけ水の入っている500mlペットボトル。

準備は万端だ。



c.「どうせなら倉持とかも呼んだら良かったじゃねぇか?」
尤もらしい意見に対してわたしは「そこは乙女心を読むところでしょう」と返した。
ニヤニヤと納得したような顔がこちらを向いていたような気がしたけど、無視する。
半ば乱暴に破ったビニール袋の裏側には『花火をする際の注意』と言う子供向けに平仮名化された文章が印刷されていた。
その中の一文にわたしは目を惹く。
『必ず大人の人とやってね!』

「……御幸」
「何」
「わたしとアンタって子供かな」
「少なくとも体型的にお前は子供じゃね?」
「どうしよう誰か呼んでこようか、大人いないとダメじゃん」
「遠まわしに俺もガキって言いたい訳ねつまり」
「誰だっけ、三年の…ほら、プリンの先輩とか」
「あー増子さんな、確かに大人だ」

つかプリンの先輩ってなんだよ。
腕組みしながらその増子さんを脳裏に思い出しているのか夜の黒い空を見上げながら、御幸はそのまま何か考え事をしているようだった。
どうしようと自分で言ったくせにわたしは着々と花火を取り出していく。
その様子が可笑しいみたいで御幸はまた、笑っていた。
どうして笑ってんの、って聞こうと思ったけど何となく止めとこう。

「ろうそく付けるよー」
「危ねぇから俺やるって」
「やった彼女って得」
「損得で考える彼女持つ俺、大損」
「どっちもどっちだ」
「そーだ」

シュボッて、お父さんがいっつも煙草に火を点す時に鳴る音が、沈黙のわたし達の間を擦り抜けた。



c.儚いものだと思った。
夏っていう季節が過ぎることも、この夜が刻一刻と終わりに近付いていることも、花火も。
色の変わる手持ち花火をクルクル回していたら危ねぇから止めろって後ろから小突かれた。
二人っきりでやる花火はそれこそ大人数でやるような騒がしさもなければ会話だってそれほどない。
けれど二人でやることに意味があった。

「御幸ー」
「おう」
「夏終わるね」
「もう終わってっけどな」
「……」
「名前?」
「来年も」
「あ?」
「来年も御幸と花火、したいな」

眼鏡の奥の瞳が、僅かに開かれた。
同時に口が開かれる。
拒絶とか、そういうのは鼻から考えないことにした。
きっと彼はまた笑ってくれると思う。

「当たり前のことじゃん。つか何で今更?」
「……」
「名前?」

言い切ったよ。
この男。
明日のことも明後日のことも、ましてや来年のことなんて分からないのに。
今度はこっちが目を見開く番だった。
それと一緒に込み上げてくる嬉しさは隠し切れない。

「うん、……へへ、御幸」
「ん、」
「ありがとう」
「わ、だから花火振り回すんじゃねぇ!」

色を変える花火が今まで作るのが難しいって前テレビで言ってたピンク色に変わる。
それで円を作りながらわたしはビニール袋の上に散らばっている花火を見た。
残っているのは線香花火だけ。
わたしはそれすらも回したいくらい浮かれていた。

「約束だからね!」
「分かってっから振り回しながら近付くなアホ!」

明日も明後日も分からない今日の夜に作った思い出を、また来年ねって笑った約束を。
また今年も出来たねって来年言えるように、わたしは精一杯笑って今を生きている。





花火石菖