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その日は特別だった。大雨が降る中では、野球部を始め、屋外の部活動の生徒が皆校舎内での練習を強いられていた。梅雨明けも間近なのだろうか。冷房設備のない廊下はとてもむしむししていて、じんわりと掻く汗は一向に止まる気配を見せない。額に浮き上がったそれを拭いながらわたしは野球部がグラウンドでの代わりに練習をしている屋外のトレーニング室の扉を開ける。この天気では折角やろうとした洗濯も思うように進まないため、諦めてボールやその他機械の手入れをしていたが、不意に今の時間が休憩であることを思い出したのだ。

扉を開けた先はもっと熱気が篭っていた。それぞれの選手が汗を掻き、息を切らせては束の間の休憩に浸っている。一番に視界に入ってきた同じく二年の御幸が、わたしの姿を見るなり口元に笑みを浮かべながら声を掛けてきた。降谷ならここにはいねーよって。なんで開口一番その話題なんだ。

「わたしまだ何も言ってないんだけど」
「お前の考える事なんざお見通しー」
「えー、なにそれなんかヤダ」
「はっはっは、で、本当の目的は?」
「……あー」
「降谷だろ?」

再び出された名前に、心のどこかで図星だなぁ、なんて思う。どうしてこの男はこうもわたしを見抜くのか。御幸だけじゃない。他の連中も、わたしを見るや否やいつも降谷の話題を出す。それはそれで別に構わないのだけど。……なんていうか、気恥ずかしさを覚える。何も答えないのを肯定と捉えたのか御幸は愉快そうに笑った。

「しっかしお前が恋なんてね」
「御幸の口から出る恋の言葉はなんか、違和感が……」
「お前は降谷以外のヤローには何でそうも可愛くねぇ態度なんだよ」
「え、わたし降谷の前じゃ可愛い態度なの?」
「あーはいはい」
「自分から言ったくせに」

揚げ足を取ったようなわたしの言い方に、今度は苦笑。その間もわたしの視界はこの場所の隅々までいきわたるように動いている。それは意識的なものじゃなくてきっと、かなりの潜在的な部分のもの。

「だーから降谷ならいねぇっつてんだろ」
「どこ居んの?」
「便所じゃねぇの」
「ふーん……」

視界が、まだ右往左往している。普段は広いと感じるこの場所が、青道高校野球部の全員、つまり百人近くが入れば狭く感じる。圧迫感も加わり、先ほどまで少ししか掻いていなかった汗が、やがてうんざりするほどのものになっていた。監督はどうやらいない。他のマネージャーもわたしと同じようにここへ来ては、それぞれ仕事をしているようだった。そういえば、なんて切り出された御幸の声に呼応するように、ようやく自分の視点が定まった。真正面には御幸。横目で見れる範囲には倉持や沢村と言った面々が座り込んでいるた。

「お前仕事は?」
「交代制で休憩中だよ」
「ははーん」
「……なによ」
「お前オレ達の休憩に合わせた?」
「悪いけど、偶然」

本当にこれは偶然だ。意地の悪い笑みを浮かべながら半ば無理矢理納得したような御幸が不意に視線をずらす。けれどわたしはさして気にも留めず、そのまま奴に焦点を当てていた。

「ところでよ、変なこと聞くけど」
「変なこと?聞かないで」
「まだ何も言ってねーよ」
「……何」
「お前降谷のどこ好きなの?」

はぁ?とは言えなかった。なんていうか、拍子抜けし過ぎて逆に声が出ない感じに近い。絶句というか、なんと言うか。からかうことを覚えた子供みたいに、楽しそうにわたしに顔を近づけて、今までよりは少し小さめ、けれど周囲にいたらきっと聞こえるような音量で御幸がどうなんだよ、と催促してきた。ていうか、声、声でかい。

「誰かに聞こえたらどうすんの」
「誰って、安心しろ。降谷以外は皆知ってるぜ」
「は、ちょっと、何で!?」
「バレバレって奴だな」

うっそマジで!?と続けざまにいった言葉に御幸が珍しく、本当に珍しく素直に頷いた。これは本当って信憑性が高い、……じゃなくて。

「……だから降谷と話してる時周りからの視線が痛いのか……」
「で、どうなんだよ」
「何が」
「お前なぁ……」
「……なぁって言われても」
「じゃ、もう一回聞くけど、お前降谷のどこが好きな」
「わーもういいって、いいから!」

うまく話題を逸らしたつもりだったのにそれが仇になった。こういう話題は女友達もそうだけど御幸とか、あとは倉持とかも絶対とことん追及してくるから困る。自分の聞きたいことだけ、ちゃっかり聞く分には、御幸も倉持も世渡り上手というか、なんというか。それに比べると降谷は世渡り下手そうだな、なんていつも何かにつけて降谷のことを思い出してしまう辺り、きっともう手遅れなのかもしれない。この気持ちを忘れることとか、隠すことなんてきっともうすぐ出来なくなってしまう。リミットがそろそろ、いっぱいなのだ。

「……全部、だよ」
「はいはい聞いたオレがバカでしたー」

有りっ丈の本音を含めて真剣に答えてやったって言うのに、わたしの言葉を聞いた瞬間苦笑いをした御幸を思いっ切り睨んでやった。答えてやったのにー、と呟けば、オレは人様のノロケは聞きくねーと。じゃあ何だ。どう答えればよかったっていうのさ。

「あーもう良いわ。後は二人で話しとけよ」
「は?ふた、二人って、」

は、っとすぐに思い当たる節を頼りに後ろを振り向いた。脳裏に浮かぶ先ほどの御幸が視線を逸らしたときの情景。もしや。っていうかその時点で気づけなかった自分に猛烈に腹立ちそうになった。振り向いて、視線を上げる。青道、と書かれた見れたユニフォームを着ていたそいつは身長が高く、オマケにいつも見上げるくらいの首の傾き加減に居た。

わたしはこの、仕草をいつもしている。どんなときに?

降谷を見上げるときだ。

「……」
「ふる、や、じゃーん」
むしむしとした暑さから来る汗では決してないものが背中を流れた。頭が真っ白にフリーズして、すぐに湧き出る膨大なクエスチョン。どこにいってたの。何をしてるの。いつからここにいたの。どこから、会話を聞いてたの。

今度はわたしの背中に位置するようになった御幸が、あと休憩五分しかねーからなー、と、とっても愉快そうに言い逃げしていったにも関わらずわたしは彼と視線を合わせるだけで精一杯で、それに関して何も怒鳴ることが出来ずにいた。

この場を上手く収めることが出来たらとりあえず一番に御幸を追い掛けて、殴ってやろうと思う。







make the best of a bad situation.
can i get by somehow?