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わたしは、知っていた。彼がどんなに強靭だろうと、戦において名跡を残していようと、彼も一人の人間であること。雨に打たれれば冷たい。空が青ければ笑う。大切な何かを失えば、悲しむ。槍の腕前とその功績が突出しているからか、時たま敵武将は彼を特別に扱い、警戒する。けれどわたしからしてみれば彼だって、一人の人間、そして何より一人の男なのだ。

「幸村様、」
「なにか?」
「少々、頼みたいことがあります」
「そなたが?珍しいこともあるものだな」

戦と戦のつかの間の休息。彼は年相応の表情を見せる。いつも吊り上げている眉を、少しだけ穏やかにして見せ、時たま笑顔を作る。そしてなにより、言葉の隅に戦時は見られる棘が綺麗になくなっているのだ。この時の幸村様を見るのが、わたしの好きな時間で、曖昧な時間だった。その原因は全て彼の行動にある。休息と言えども、鍛錬を怠らない幸村様の顔にはその疲れとも、成果とも言える沢山の汗が滴っている。それを見てから溜息を付いた。一つ、言葉を慎重に選びながら落とす。ああ、彼はまた、そうして戦に生きようとする。

「そろそろ、お休みになられてはいかがですか」
「……そのような」
「我侭、でしょうけど」
「いえ、」

紅色した甲冑を今も纏ってはいるけども、やはり戦とは違う幸村様の様子。いつあのような表情を再びしてしまうのだろうかとわたしは我侭ながら、胸中穏やかではなかった。次の戦までまだ時間はある。少しでも多く、彼の彼らしい表情を見て、忘れないようにと頼みごとをした所存、今更ながら自分の言ったことの利己さに恥ずかしさを覚えた。そんなわたしを、彼は少し沈黙に徹した後、静かに微笑んでくれた。そして口を穏やかに開く。今日は、とてもよい天気ですね、と。

「…仰せのままに」
「…幸村様?」
「そうですね、城に篭ってばかりいるのもなんです、少し出ませんか」
「え、わたしと、ですか…?」
「はて、最初に私に鍛錬を止めるよう進言して来たのはそなたのはず」
「そ、それとこれとどう関係が」

青い空を見上げて、彼がまた微笑む。キラキラと反射する光が甲冑をより恍惚に見せてはその残虐さを主張しているようだった。ああ、悲しいな。こんな笑みが出来る人が、戦人であること。この空が晴れていようとなかろうと、今の日ノ本が、戦国乱世であること。憂うわたしとは対照的に彼の軽快な調子は消えない。いたずらを思いついた童子のように彼は言葉を続けた。

「もし鍛錬を止めたとて私にそれなりの時間と猶予が出来まする。暇は潰さねば私にとってはただ苦痛になるのみ。なれば、そなたが私の我侭を利いてくださっても構わないのでは?」
「…っ」
「そなたのいわゆる"我侭"とやらはたった今この幸村、承諾致しました」
「…うっ」
「それとも私とは共に行きとうございませぬか?それならば無理強いは致しません」
「…ううっ」
「如何でしょう」

なんて余裕なんだろう。、そこで優しく笑っておまけに小さくわたしの名前を呼ぶのは反則だと思った。そしてごり押しした後に何気なく一歩下がる発言も、また然り。圧してもだめなら引いてみろとは良く言ったものだ。真田幸村、という男は槍裁きだけでなく策もまた豊富である。(そりゃあ、御館様とか、知略を武器になされる方には及ばないかもしれないけど)それとなくわたしの発言を逆手に取り、自分の時間をわたしで埋めるべく発生させた罠、見事に掛かってしまったわたしは何も言い返すことが出来ずに、ただだんまりを通して。やがて、決定ですね、と勝ち誇ったように笑った彼に釣られてわたしも笑ってしまうのだ。結局、彼に、弱い。

「…幸村様は絶対敵に回したくない」
「奇遇ですね。私もそなたとは対峙したいとは思いませぬ」
「勝つ自信あるくせに」
「勝つ自信はあっても、戦う自信が私にはありませぬ」
「……」
「そなたを敵に回すなど…考えもしませんから」

それとなく、わたしに幸せを実感させることも上手いと思う。彼が手にしていた槍を背後の定位置に戻し、わたしの方を振り向いた。一人の男である、真田幸村がそこにいる。わたしが焦がれる、彼。その人間らしく、年相応な表情にわたしの中のどこかの臓腑が痙攣を起こしたように煩かった。あ、という間抜けなわたしの言葉をさえぎるように彼はどこへ行きましょうかと、笑った。



気付いてくれなくていいから。お願いだから、消えないで