×小説 | ナノ







聞きたくもない授業のノートを気だるげに取る。意味も分からない記号ばかりだ。と、溜息。どうせこんなの将来役に立たないだろ。心の中で悪態付くも、それを覆すことが出来ない。それは皆も同じようでノートから目を離してクラスをざっと見渡した。真面目に聞いている人も居れば寝ている人もちらほら居て、少し不公平だと思う。隣の席の奴も例外ではなかった。

(……どうせ後でノートとか、言われるんだろうな)

退屈過ぎるこの空間を拒絶するかのように彼は瞼を頑なに閉じていた。器用にも、教科書を持って、さも起きているように見せかけて。横から見たらバレバレだ。自分の分野の解説に熱心な数学の教師は教卓からあまり動かない。それをいいことに皆、やりたい放題していた。

何気なく、もう一度隣の席の奴を見る。と、今度はこちらを見ていた。そのことに驚いて、一瞬声を挙げそうになったけれど、直ぐに今が授業中だと気付いて、我慢した。ドキドキ、と突然のことに驚きを隠せていない心臓が煩かった。それに気付いているのかいないのか、彼は一度、意地悪い笑みを浮かべて、ペンを持った。ああ、予想出来る。きっと、わたし宛てだ。的中。黒板に解説を書き出している教師がこちらに背を向けていることを確認した亮は書き終えたノートをわたしに差し出した。

よくあるパターンだったから慣れていた。

「あとでノートよろしく」

これも、よくあるパターンだ。

いっつも人頼みしないで自分でも努力しなよ。と乱暴に書き連ねて、半ば強引に隣の席に返した。でも、ノートはそこまで大きい音も出なかったのでひとまず安堵。わたしの返事を見た亮がすぐ近くで、笑みを消したのが分かった。彼にとっては、慣れてないパターンなのだろう。いつも了承していたわたしからの、批判的な文面。すぐにノートは返ってきた。

「何か怒ってんのか?」

別に。一言書いた後で、考え込む。ただ、都合の良い女だけで終わりたくないだけなのだけれど。それを果たしてどう書いたら良いのだろう。そもそも、書いたら、バレる。だろうな。勘の良い奴だし。

書けなかった。別に、とだけ書いたノートを再び返す。ノートはもう、返ってこなかった。



「さっきの、なんだよ」

授業が終わった後、亮がすぐに机に体を伏せた状態で顔だけこちらに向けて、言った。教科書やノートを机に閉まっていたわたしの手が、止まる。なんだよ、と言われても、わたしにも説明が出来ない。とか言ったら、変な顔されるかな。

「……別、に」
「そればっかりだな。語彙力付けろ」
「国語の授業も寝てる奴に言われたくない」
「かっわいくねぇなぁ」
「そうですね可愛くないです」

言い方ってものがあると思う。今の言葉は少なからず彼の逆鱗に触れそうな言い方だ。経験上が物語っていた。けれど、クラスの喧騒に紛れてでも彼の怒り口調は聞こえると思っていたのに、なかった。これはわたしにとって、慣れないパターン。止めていた手を再び動かして、荷物をしまい終わる。顔を上げれば、亮の、少し、複雑そうな表情が見えた。何でそんなに、悲しそうな顔、するの。

「わたし、は」
「……」
「亮にノート、貸したくない」
「うわ、お前ってそこまで俺のこと嫌いだったんだ」
「ち、がう」
「じゃあなんだよ」

なんだよ、と言われましても。さっきと同じような考え。わたしにも分からない。でも無性に苛々したんだ。ノートを頼りにされるだけの存在なんてわたしは真っ平ごめんだ。それなら、他の子だって出来るじゃない。

「わたしは、亮に、わたしにしか出来ないことをしたいの」
「は、?」
「都合良い存在なんて、いや」

人って不思議だ。予想外のことには、対処が遅れる。滑らした口を我に返って、塞いでも遅い。驚いたような亮の顔が視界の片隅で見えたが、もう、直視は出来なかった。何、言った、わたし。今のまるで。

「……お前、バカ?」
「な、何でそうなんの!」
「いや、だってよ、」

クスクス、と可笑しそうに笑う。こんな場面で、だ。混乱しているのはわたしだけか、と悔しい思いを噛み締めながら、漸く出た勇気でもって亮と視線を合わせた。一頻り笑いが収まった亮は、先程交わしていたノートを手に持ちながら、いつも通りの、様子で口を開いた。

「お前に話すための口実にノート借りてるってこと、気付いてねーなんて言わせない」

そのまま軽い力でもってノートで頭を叩かれた。軽いはずなのに、動揺が、強い後押しをして、わたしに襲い掛かる。

「だから、ノート、貸してくれよ」

予鈴を知らせるチャイムが鳴り響いた。休憩時間の十分間がこれほど早いと思ったことはない。すぐに教室に入ってきた教師のせいでわたしは答える余裕もなく、前を向く羽目になった。その間、亮はわたしをニヤニヤと何度も見て来ていたことに、当然わたしは気付いていた。心の中がぐちゃぐちゃだった。けれど、それは嬉しさからくるもので。答えはもう、はっきりと決まっていた。



わたしにしか出来ないことだって、思ってもいいのなら。