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*大人設定

あかんわ、と彼が慣れた仕草でハンドルを切る。切り返しも何の問題もなく出来ているというのに口は不平を零していた。助手席で聞いたことのあるようなロック調のBGMを何となく口ずさんでいたわたしは、運転席を見やる。スムーズに動く車は、信号にも引っかかっていない。何を、とわたしが返事を言う前に、彼は再び口を、開く。クラッチを、一速から二速に手際よく切り替えながら。

「俺やっぱ車変えようかと」
「え、でも買ったばかりじゃないの」
「あー、せやねんけどなぁ」

口篭るなんて珍しい。スイッチを弄って助手席の窓を半分くらい開けたら、クーラーの意味ないやんけ、とかなんとか。同じ不平ではあるが、先程とは意味の違うものに思えた。

「で、何で車変えたいの」

まあサッカー選手なんだしお金に困ってるわけじゃないのだから反対するつもりもない。けれど購入してわたしが助手席に乗って、まだそれほど経っていないこの新車の乗り心地がわたしは好きだった。手放すのはもったいない、と、笑う。

「マニュアルやと不都合が多すぎんねん」
「え、運転難しいとか?今更?」
「アホか。せやけど……オートマのがええかもな」
「どして」
「マニュアルは暇ないねん」
「なんの」
「お前を構ってあげられる暇」

は、と不意打ちを喰らった。一体どうしてこんな展開になるのだか。窓から心地良い風が入り込んで、何気なしにシゲの運転する目の前のメーターを見た。おいおい、速度、ギリギリじゃん。カーブもない見通しのよい道を、まっすぐ走る車がエンジンを唸らせた。素早いハンドル捌きと、クラッチ。両手両足をフル活用するこの車は、確かに一瞬の気も抜けなそうだ。

「何、オートマの方が簡単なの?」
「そりゃクラッチもないねんから当たり前やろ」
「へー」
「お前は免許取らへんの」
「べっつに必要ないかなって」
「さよか」
「だって、シゲがわたしを助手席に乗せてくれてるなら、必要ないじゃん」

お返し、とまではいかないかもしれないけど、多少のやり返しも含めて言ってみた。シゲに動揺は見られない。つまんないな、と切り替わったラジオに耳を集中させていると今度は聞いたことのあるラブソングだった。今流行ってるとかなんとか、好きでもないのによく聞くから覚えてしまった。口ずさむと同時にシゲが不満気に話し出した。

「お前なぁ」
「何よ」
「運転中に俺をドキリとさせてええと思っとんか」
「ごめんごめん安全運転よろしく」
「ほんまに……ドキドキしてミスりそうやったわー」
「それ洒落にならんから」

そんなこと言いつつもミスをする気配なんて一向にない辺りさすがというか何と言うか。で、結局車は変えるの、と興味のない振りして尋ねた。わたしはこの車、結構好きだけどなぁという余計な一言を添えて。せやなぁ……と考え込んだ彼は、右折の指示器を出して、一度車を止める。考え込んだ横顔をちらりと覗き見てはすぐに助手席から顔を出すために横を向いた。気持ちいい夏の風。わたしの名前が、彼の口から紡がれる。振り向くこともせず、夏の恩恵を浴びながらうん、と曖昧な返事。

「子供が生まれたら、オートマのファミリーカーとかでもええな」

*

返事は、風とラジオの音にかき消されて、実はよく聞こえなかった。
けど、わたしは笑った。どうだろう、そう言って、自分の未来を、道を走る車に置き換える。