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人が泣くことに対して彼は、何の感情も持たないだろうと思っていた。

「……何故泣く」

彼の淡々とした口調が今は辛い。でも彼からしたらそんな些細なわたしの心情など、どうでも良いのだろう。気付いている素振りはなかった。人間の、言ってしまえば女の微妙な心理なんて理解する必要もないと割り切っているのなら放っておけば良いのに。現に何度もわたし先程からここに留まり続ける彼に対して少々キツい言葉で対応していた。放っていてくれ、や、一人になりたいから、と。それなのに。彼が何をするでもなく、ここに居続ける理由は思い当たらなかった。

どうしてなのとか、何でとか、そんなのハッキリ言ってしまえばどうでも良いんだ。
ただ、放っといて欲しい。
思い切り泣いていたかった。

彼がいることを都合の良い理由にして、わたしは零れ落ちそうな涙を必死に我慢する。泣いてない。それだけを呟くと、わたしは目元を抑え涙腺と無言の格闘を繰り広げる。泣くな。泣く、な。

「別にね、好きで泣いてるわけじゃないの」
「それならば嫌がって泣いてるのか」
「……嫌がっては、いないけど。自然。自然に、ね」
「私にはその摂理が分からぬが」
「あー、もう!どうでも良いって思ってるならほっといて!泣くなとか言うなら黙って!」
「喚くな。私は貴公が言うことのどちらも言っておらぬ」
「……」

喚くな、と言われて素直に従ってしまうわたしもどうなんだか分からないがとりあえず気が動転していたせいもあって、落ち着こうという意志が働いた。ただ、喉に突っかかる何かを吐き出そうとするわたしの咳だけが辺りを支配している。
彼はまた、ただわたしを観察しているだけ。
恥ずかしさとやるせなさと不思議さととにかく色々な感情が入り混じって、よく分からなくなっていた。
彼がここを離れればわたしはきっと一人で泣くだろうし、離れずじまいならばきっと気分は晴れないままであろう。どちらも好ましくない。ならどうすればいいんだろう。

一人になりたかったし、一人になりたくなかった。

「バカにしてるんでしょう」
「何がだ?」
「人は弱いとか、女は弱いとか……とにかく弱いって」
「……さて、どうだろうな」
「それか興味深いとか」
「ほう、それは少し的を射ているかな」
「……」

興味本位なら放って置いて下さい。とは言えなかった。何をするわけでもなく、彼はただわたしの正面でわたしを見下ろしているだけ。気まずさもあり、そしてそこには何故か穏やかさもあった。観察、と言って相応しい彼からの視線の中。表現しにくい瞳の色が、わたしを真っ直ぐ捉えている。どうして、だろう。

少しずつ、心が落ち着きを持ち始めたからかもしれない。彼がいることに少し、安堵している自分がいる。別に彼に特別な感情を抱いているわけでも、何か特別な関係にあるわけでもない。それなのに。

「見たところ好いていた御仁に断られたようだな」
「……」
「あくまで私の予想、だがな」
「そんな自信たっぷりに言う予想はない」
「……クク、そのような悪態が付けるのなら問題はなかろう」
「……元気付けてるとか、そういうのならお礼は言いたいけど」
「私がか?自惚れだな」
「だろうと思った。絶対お礼なんか言うもんか」

右目を抑えて、強引に擦った手を何気なく取られた。それ以上不細工になってしまえば元も子もないぞ。一見すれば嫌味にしか取られないような台詞。でも。なんなんだこの人。何で、そういう顔するの。

「嫌味を言う時の、いつもの余裕の笑みっぷりはどうしたの」
「さぁ。私にもよく理解出来ぬ。だが、」

代わりにわたしの目に触れたのは彼の掌だった。驚いて反射的な瞬きをしてもそれは退けることなく、そっと、下まつげを這うように、動いていく。涙を、拭いていく。

「人の子はよく泣くらしい」
「そうね、特にわたしなんかは泣き虫だから」
「クク、そうか。それならばこれくらいの涙では事足りぬであろう?」
「……」

なん、で。心の声が言葉になって、零れた。涙も一緒に、零れた。

「何を我慢することか知らぬが、貴公がしたいことをすれば良い。ただそれは私も同じだ。私は私がしようと思ったことをするだけ」
「……っ、」
「貴公の傍に、居よう」

彼の手を濡らしてしまうかもしれない、醜態だと後々笑われてしまうかもしれない、それでも。いつもとは違う表情。心の底からわたしを哀れだと思うと同時に心配するような人間らしい、彼の顔つき。ずっと好きだった人にすまぬ、と拒絶された記憶。全部が全部溢れ出て、それは涙と同時に零れた。
声にならない声、ここにわたし達以外の誰かが突然現れたらびっくりするようなわたしの醜い泣き声。悲鳴にも似たそれを笑うことなく驚くこともなくただ、泣き止むまで髪を撫で、頬を撫で、微笑んでくれた彼を、わたしは少しだけ、見直したかもしれない。














人が泣くことに対して彼は、何の感情も持たないだろうと思っていた
それを少しだけ撤回しよう
人の感情には敏感だ
ただ、言葉が足りないだけ

掌が安心するほど暖かかったことと頬の辺りを伝う安心しきったそれが何よりの証拠



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taniさま提出
素敵な企画に参加させて頂き本当にありがとうございました