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「おいおい、」

仕方なしに声が掛かる、という表現にまさにぴったりな声がした。膝から下、感覚の無くなった足を動かそうとしていたわたしに、向けて。瞬時に顔を上げたわたしと、男の距離は思っていたよりも近かった。逆光で顔が見えない。渋く、落ち着きのある声は、視線こそよく確認できていないが確かにわたしに掛けられたもので間違いはなさそうだった。敵かもしれないと、体中に微かに残る注意力を掻き立て、銃を片手に立ち上がろうと試みる。がくがくと今頃になって戦の恐ろしさを感じているのか、足が、震えて涙が出そうになった。けど、泣いちゃいけない。ここは優しさなんて求めても逆に残酷さが返ってくる。そういう場所なのだ。そう頭に言い聞かせながら、銃を持つ手により一層の力を込めて、立ち上がった。膝の痛みは、麻痺している。

「血、すげえじゃねーか」
「…あなたは、敵、ですか」
「お、よく見ればなんて美しい方。そんな方がなぜこんな男臭くて仕方がねぇ戦に?」
「敵か、味方か、聞いてるんです!」
「さぁてな、どっちだろうな」

曖昧な言葉に、逆上したわたしは、咄嗟に銃を構える。火をつけることはまだしていない。曖昧すぎて、怖かったのだ。仲間であったらばどうしよう。わたしはまだ、敵を殺すことにも慣れていない未熟者であったから、味方なんてもってのほかだった。それが男の戦略であったらばどうしようとも考えたが、彼の表情がどことなく、殺意のないものに見えたからか、それは否定しようと思う。

「あなたみたいな美しい人が、こんなになるまで戦う戦の存在が俺には許せないね」
「…味方なの、敵なの?」
「敵味方の観念に囚われるほど、辛ぇ思いしてきたんだな」
「……感情になんか流されませんよ」

逆光でよく見えなかった顔が、次第に見えてくる。彼が、わたしの手を掴み半ば無理やり、それでも優しさを忘れていないように立ち上がらせてくれたから。見たことのある顔ではなかった。けれど、兵士の格好をしていないから、どちらの勢力の者なのかは判別付かない。明らかに敵意零と思わせる飄々とした姿とは反面、背負われた銃が、あまりにも光に反射しているものだから解き始めた警戒心を再び、ぐっと結ばせる。

「それにしてもすっげぇ怪我だな。こりゃ手当てしないと後に残るな、それは女性にあるまじきものだ。一刻も早く手当てするとしよう」
「あ、の…」
「ん?」
「……戦をしている方ではないのですか?」
「………」

なぜか照れくさそうに鼻の頭を掻いた男は、これ見てもそう思うのかい、なんて肩に担いでいた銃をわたしに見せ付けてきた。

「殺意、というか…、戦う気が全く感じられないので」
「ほー、美しい人、なかなか見る目あるんじゃねぇの?
「あの、」
「まぁ気にすんな。敵味方関係なく、普通に考えて怪我人は助けるもんだろ?」
「…はぁ」

ま、俺の場合美女限定になるけどな。軽い調子で言葉を紡いだ彼は、次にわたしに背を向けると、ゆっくりと屈んだ。大きく見えていた背中が、一瞬にしてわたしより小さくなる。敵かもしれないのに。背中を向けるなんて、と思いつつもなんですか、と尋ねればそれ歩くのは辛いだろう、と遠まわしに背中に乗れということを言ってきた。とりあえず立っているのも正直辛かったので、素直に好意に甘えることにしようと思う。重いですけどすいません、と謝っても彼にはどうってことないのか、口笛を吹きながら歩き始めた。

「…ありがとうございます」
「いいねぇ、素直な子は嫌いじゃねぇよ」
「……戦は怖いですね。痛いです。今頃足の痛み、出てきました」
「戦なんてクソ喰らえだな。いつかあなたみたいな人が心のそこから笑える世の中が来たら…、」
「来たら?」
「いや?何でもねぇよ。それよか里はもう少し掛かる、辛いなら寝てろ」
「…はぁ。で、本当言うとあなたは味方だったんですか?」
「内緒だ。里について、手当てが終わったら教えてやることにしよう」

別にそれなら今でも構わないんじゃないかと思ったが実際痛みを忘れたい衝動からか、それとも戦の恐怖から解き放たれた安心感からか、睡魔が徐々に襲ってきていたのですぐさまわたしは意識を手放した。ごつごつとした大きな背中と、丁度良い振動。遠くではまだ誰かと誰かが悲しみを帯びる戦いを続けている音がした。それからわたしは逃げるように眠る。暖かさに身を任せて。ああ、変な人。






慈雨の如く
(起きたら、またお礼言わなきゃ)