×小説 | ナノ










焔を憎たらしいと思ったことは先にも後にもこれっきりであってほしいと思うばかりだった。

轟々と唸る大筒の音に混じって繊細な金属音が聞こえる。人々の合戦だ。遠くで見ていたわたしの声は、それらに掻き消されているのか、自分自身にもよく聞こえない。多分、ここにわたしがいることに気づいている人は、皆無だろう。どうしてだ。ただわたしはこの場所で静かに過ごし、静かに死んでいくことが出来ればそれでいいと思っていただけなのに。どうして、それさえ叶わせてくれない?

今度生まれ変わるなら、このような世界は御免だと言わんばかりに拾ったものを地に投げ捨てた。有りっきりの力を込めて。戦の証だった。火薬の詰められていない銃。わたしは兵士ではない。殺されるなんて、考えたくもない妄想…の、はずだった。

「さて…、貴公はどちらの軍勢かな」

凛とした声が響いたのは、涙が枯れて少し経ってから。足元に、重々しいそれがあったことから誤解を生んでしまったのかもしれない。やはり拾わなければ良かったと後悔した。こんなもの、悲しみを生む以外存在価値などない代物だというのに。凛としつつも全くの感情が含まれていないそれは背後からで、わたしはそれでも慌てふためいて振り返ることはしなかった。兵士に命を請うことすら忌々しい。わたしにはもう、何もないのだ。生きる地も糧も。それならば命くらい、どうってこと、ない。いっそ殺されたほうが楽だと、頭が結論を弾き出したと同時に再び声が、尋ねた。

「見たところ、兵ではないようだが」
「…あなた達がいま戦っていた場所で暮らしていた者よ」
「そうか」

哀れみも、懺悔の欠片もない返答に頭が熱を帯びるのが分かった。そうか、それしか言葉が出ないのか。決して同情を貰いたかったわけじゃない。でも、ただ一言それだけで事実を受け入れられたことに、納得がいかなかった。わたしはいい。わたしはまだ、いい。何も知らず、大筒や銃の前に倒れた村のみんなの気持ちは、それでさっさと片付けられるものではない。あんた達のせいで、紡いだ言葉は振り向くと同時に続きを失った。音も無く揺れた釣竿のようなそれが、わたしから熱を奪った。正確には、合戦の音で聞こえなかっただけかもしれない。そしてわたしから熱を奪ったのはそれではなく。

「何か文句を言いたげな顔だな。それはそれで結構だが相手は私ではない」

今日の空がよく晴れていることを、初めて知った。煙や砂埃でいっぱいのこの場所からは空が濁って見えていたから。キラキラと、太陽の光を吸収しては余分を反射する銀色の髪。どう表現していいのか分からないほど深い瞳。わたしから熱を奪ったのは、男自身の存在だった。人、と言っていいのかも分からないくらい整ったその姿かたちにわたしは未だに言葉が出ない。不思議そうにわたしを見つめるその瞳に一瞬吸い込まれそうになっていた自分を必死に戻して、保った。

「…あなたは、兵、なの」
「…今はそういうことになっているが」
「それなら十分文句を言う対象になるじゃない」
「残念だが人の子の文句は人の子に向けて貰いたいものだな」

ちっとも残念そうに見えない表情に憎たらしさを覚える。涙が伝った頬が乾燥して、ピリピリと痛んだ。人の子、という単語に違和感を感じたがすぐに理解した。人に非ずものならば、この容姿も頷けるのではないかと。

「そう、人じゃないのね、あなた」
「だが遠呂智に屈したものではない」
「遠呂智とか、そんな世界の大きい話はわたしには分からない。ただ、どっちも悪い。わたしの生きる場所、なくした」
「………」
「人だとか人じゃないとか、そんなのはどうでもいいの。ただ、静かに生きたかっただけなのに。…戦乱なんて嫌いよ、遠呂智もそれに抗う人も、民を傷つけるならどっちだってわたしからしたら一緒だわ」

捲くし立てた抗議の言葉は相手を明らかに間違っていることくらい、気付いていた。彼が誰だとかそんな話はもうどうでも良かった。湧き上がる感情のままに、乾いていたはずの頬に再び潤いが伝う。無言で聞いていた彼が、物珍しそうに目を細めては、わたしをただじっと見つめていたことに、不快感を抱いた。

「人の子は面白いことを言う」
「………馬鹿にしてんでしょ、あなた」
「そう聞こえて尚且つ嫌悪を感じたのなら謝罪しよう」
「別に、要らない。何、あんた誰よ」
「今更か」
「わたしには村のことが第一なんだから。あんたがあまりにも変なことばっかり言うから、聞きたくなっただけ」
「私は太公望。仙人だ」
「仙人なら、村、元に戻してよ」
「下らないことに力を使うつもりはない」
「……」
「第一、」

まだ、焔は止まらない。涙が、地に落ちていた人を殺めるものに一滴落ちては色を濃くさせた。顎に当てていた彼の手が思慮するようにそれを見下ろしてから、拾い上げた。殺されるのだろうか、と一瞬でも思って、心が怯えを持っていることに気付く。どんな思いで、村のみんなはそれに殺されたのだろう。考えたい、共有したいと思いながらも恐怖は隠しきれなかった。彼がそれを自らの持つ釣竿のようなもので破壊するまで、は。

「第一、村を元に戻したところでそこに住まう人々は戻ってこない。それでも構わないのであればな」

淡々とした口調が、真実を告げて、わたしの膝を地に落とした。続けて、彼が零す。

「人の子は愚かだな。争いの中に犠牲があることに気付いているにも関わらず見て見ぬ振りをする。それがなんという虚無感を持つことか、考えたくもないらしい。で、貴公はこれからどうする。このまま死んでゆくか、それとも人の子らしく無様な姿になっても生にしがみ付いてゆくか」

冷淡な言葉の中で、ほんの少しだけ、温かみのあるものだと思ったのは、多分嘘じゃない。

きみが傷つく世界なら捨ててしまおうか
涙と悲しみの感情が似合うのも、人の子の特徴だと知った




title/影