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「きっと、わたしは、ね」

わたしの言葉の続きを待つ彼が素直に親の帰りを待ち詫びる子供の姿にあまりにも類似していたので、こっそり笑った。こういうあどけない表情もあるのかと知らされたのはごく最近で、出会ったばかりの無表情さと冷淡さが嘘のようだと思わせる。歩き疲れた両足を屈伸させながら、それでも遠くに見える茶屋までは頑張ろうとまた一歩足を踏み出したときだった。彼が、静かにわたしに触れる。緩やかな腕が、そっとわたしの肩に乗せられたけれども重圧感は感じない。仙人は、普通の人と同じように体重はあるのかなぁなんて考えてみたところ結局結論なんか出るわけもないので何か言いたげな彼の方を振り返った。

「なに?」
「言いかけた言葉を中途にしてもらっては困るな」
「気になる?」
「まぁ、正直どうでもいい」
「ならいいじゃない」
「嫌な予感と言おうか、そんなものが一応、理由としては挙げられるな」
「何か不安なの?太公望らしくもないね」

そう言えば押し黙ったように彼は口を閉ざした。いつも存在する余裕が、少し薄くなる。さて、これはわたしが彼にとってそれほどの存在になったと期待していいのだろうか。先程までわたしが率先して歩いていた峠道を、今度は追い越すように彼が先達となる。歩幅の広い彼に追いつくには、彼以上の速さで歩かなければならない。微かな息切れと共に彼の手が置かれていた肩を筆頭として体中に、熱が根付いく。さっきまで遠かった茶屋が、いつの間にか近付いていた。何となく達成感を感じつつもさっさと歩いて行く彼に少しばかり声を張って、話し掛けた。

「ねえ、太公望、少し休憩しない?」
「………」
「却下?なら良いけど」
「……お前は本当に面倒な奴だ」

少しだけだ、と溜め息混じりにお許しを貰ったわたしは無性に嬉しくなって、小走りで太公望の背中に近付く。結構な距離が一度に縮んだことが、更に嬉しかった。キラキラと光を反射させた彼の髪が視界に収まり尚一層目を細める。お前の表情は、と彼が気付いたように零す。背中を見せていたはずの彼の姿がいつの間にかこちらを向けていたことに多少びっくりしつつ言葉を待つ。

「ころころと変わるな。疲れないか?」
「……さあ?そんなに考えて変えてるわけじゃないし」
「…そうか」
「え、変?変わらない方が良い?」
「いや。それより先程言いかけた言葉は何だ」
「え、まだ覚えてたんだ」

再び背中を向け、今度はゆっくり、まるでわたしの歩調に合わせるかのように歩き始めた太公望の後を追う。一つ一つ、小さな子供が遊ぶように飛びながら歩いては彼を追う。わたしね。多分ね。言葉が途切れ途切れになったのはほんの少しの躊躇。

(あぁ、言ったら多分彼は驚くだろう、な)

「太公望にもっと笑って欲しいんだと思う」

途端にピタリ、歩を止めてしまった彼に相対しわたしは飛び出した歩を瞬間的に止めることが出来ず顔面から彼の背中にぶつかってしまった。華奢のようで男を思わせる広さを持つ背中にダイブする。ちょうど肩甲骨あたり。痛かった。鼻をさすりながら声にならない悲鳴を上げると同時に彼の表情を盗み見る。反射的に出た涙が覆う視界の垣間、彼の顔に動揺は、なかった。なんだ、残念。それでも代わりに物珍しいものでも見るかのような視線が突き刺さる。加えて意味を問うようなそれでもあった。意味はないんだよ。ただ、ね。

「笑って、怒って、悲しんで、だから生きるって楽しいんだと思うんだ」
「それは人の子だけに言えることだろう。…仙人である私には不必要だな」
「それでも、そうした方がいいと思うんだけど」
「………」
「太公望がたまーに珍しく笑うと、何か嬉しくなるんだ。少し人間らしくなったっていうか…あっ、嫌な意味じゃなくて、良い意味で、うまく言えないんだけど…なんて言えばいいのかな…、太公望?」

クツクツと笑う声が聞こえた。いつもの癖なのか、顎に当てられた手。細くなって瞳が見えなくなった目、つり上げられた唇。心から笑っているようなその表情に、嬉しさが募る。どうしたのと尋ねれば先程、と一件噛み合わないような答えが返ってきた。

「先程お前に言わなかった言葉」
「あぁ、あれはなにを言おうとしたの?」
「今もそうだ。お前は…、本当に見ていて飽きない」
「……そう?」
「故に、お前が私のそばにいれば、お前の願望は叶うだろう」

願望とは笑って欲しい云々のことだろうか。それ以前にわたしはこれからもあなたの側にいていいのだろうか。色々に思惑が浮かぶも、とりあえずは一旦端に置いておこうと思った。彼がこんなにも破顔するのはもしかしたらなかなかないのかもしれない。だから今は、もう少し、彼を見ていようと思う。キラキラ、太陽にも負けない彼の微笑が、一瞬だけ彼を人間だと定義付けた。




途切れた言葉