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例えるなら、狼。
強いイメージと少量の偏見を混ぜた上で精一杯に褒めたつもりの発言だった。
それに対し彼は至極不機嫌そうにわたしを見つめる瞳を鋭くさせる。
どこがだね。
そんなことでも言いたげな、光。

「強く、残虐。それなのに少しだけ、甘い」
「私がか?……自分ではそうしているつもりはないがね」
「他人にしか見えない部分は誰にだってあります」

他人、と自分の立場を自ら位置付けたことを少し悔やんだ。
別段彼にとっての特別な存在になりたいわけではない。
今こうしてそばについてあなたを守れる立場に居られることがとても幸せなことくらい、分かってはいる。
だけど、それは特別なんかじゃない。
わたしがいなくとも代わりはいくらでもいる。
人間は醜い。
今居る場所の更に上を欲しがるなんて。
わたしも、彼も。
……あぁ、彼はやっぱり人間か。

「例えるならばの話であって」
「…?」
「わたしはあなたを否定しているわけではないんです」

それくらい分かるさと答えを零した上司は余裕を含ませた笑みのまま、瞳を落とす。
口元あたりで組む両の手が、力強さを現しているようで、今度はわたしが瞳を細めた。
次に目を閉じる、彼の行動をまるで真似するかのように。

「狼は人間を食らう」
「肉食だからな」
「でも、人間を育てたりもします」
「ほう?」
「……どこかの国の始まりの王が狼に育てられた……まぁ、逸話ですが」

興味深いのか、彼は小さく感嘆の息を洩らした。
詳しく知りたいのならファルマン准尉にでも聞いてくださいと言えば彼からは否定的な言葉が零れた。
いや、と。
その続きを待つ振りをして、わたしは少し崩した形で立っていた姿勢を、再び仕切り直しと言った形で直した。
視線は、再び自らの足元へ。

「君は私を随分と高く買っているようだからな。嬉しいよ」
「は、い?」

思いもよらず視線が、彼に行ってしまう。
自嘲とも余裕とも取れる笑みが、力強さを現していた手がいつの間にかなくなっていたため、直接的にこちらに向けられる。
居心地の悪さは最悪だった。
ただ上司には退室を先ほど拒まれたため、ここにいる以外の選択肢は今のわたしにはない。

「それにしても狼とは」
「そんなに心外ですか」
「君以外に言われたことはないな」
「そうでしたか」

先程から立ちっぱなしのせいか若干あるヒールが足を刺激し始めた。
それを良いことに、もう一度真正面に向かう上司に退出を願い出た。

「……そろそろ失礼して宜しいでしょうか」
「もう少し君と話をしていたいのだが駄目かね」
「……仕事がありますので」

一見誘い文句とも取れる彼の台詞を一蹴する。
期待してはダメだ、と自分に言い聞かせるように。
これは彼にとって、単なる気紛れでしかない。

「一つ忠告しよう」
「何がですか」
「狼は人を喰らう」
「……それは、当たり前のことです」
「いつか君をも喰らうかもしれない」
「……」

忠告、じゃない。
寧ろそうであってほしいと思うわたしからすればそれは単なる願望の達成でしかないのだ。
彼にその気はないって、自分の中のどこかで言い聞かせているわたしは逸る気持ちを抑え、彼から目を離した。
静かに大佐が、笑ったような気がする。



それは本望だと、言えること。
わたしには出来やしない。



20080923