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 言葉足らずで、怒りや苛立ちとは違う何かと何かが入り混じった感情が時々湧き起こる。

「あ、ねぇ降谷」
「何」
「コンビニ寄ってこ、コンビニ」

 相手がうんともすんとも言わないのを良いことに彼の制服の袖を引っ張った。明らかに顔は面倒くさいとか、やだよとか言いたげだけど今更気にしない。
 一枚のガラスを隔てて、むしむしとした空気からまるで世界が変わったように涼しさが訪れた。長時間滞在していると寒くなるけれど、この瞬間だけはとても好きだ。いらっしゃいませーという店員のやる気があるのかないのか分からない声がわたし達を迎えた。

「あ、からあげ食べたい」
「……ねぇ」
「うん?」
「別に用事ないんでしょ。帰るよ」
「えー」

 分かってないなぁ。用事がなくても入りたくなるのがコンビニなんだよ。ふざけて笑っても、降谷は無表情のまま、雑誌コーナーの目の前に広がる、暗闇を見つめていた。

「そんなに帰りたい?」
「逆に聞くけど。僕が何のために名前を送ってると思う」
「……彼女のため?」
「……」

 そこはもっと照れたりとかしなよー、と言おうとしたけど、黙り込んだ。未だにガラス一枚向こうの世界を見つめている降谷にそれ以上、言えなかった。
 降谷はさっさと自分の寮に帰りたいんだろうな。それをわたしが妨げている。……邪魔してるんだ。
 あそこに帰れば、彼の理想としていた環境があるんだから当然の感情だとは思う。でも、と、雑誌コーナーのすぐ隣にあるアイスを眺めながら、思う。
 あからさまに態度で示されると、引き止めている自分がなんだか虚しい。

「降谷」
「だから、何」
「からあげ食べたい」
「自分で買えば」
「そこは率先して男が出す、とか言ってよー」
「やだ」
「いいじゃん二百十円くらい」
「二百十円くらいって思うんなら自分で買いなって」
「うわ、ひっど」

 特に食べたいアイスもなかったのでそのままレジの脇のガラスを覗き込んだ。ポテトとか、フランクフルトとか、部活が終わって、へとへとになった空腹の体にはどれもが美味しそうに見えてしまう。けど、目的はすぐに見つかった。レジにいる愛想の良い男の人にからあげください、と言って、財布を取り出す。と、わたしが財布からお金を出す前に、レジには綺麗に折られた跡がある千円札が置かれていた。すぐに手が伸びてきた方向に目をやる。

「自分で払えって言ってた癖に」
「……お釣り半端だから十円出して」
「……ん、」

 言われるままに十円だけ出して、そのお釣りを受け取る。降谷に渡しながら、近くからからあげの良い匂いが漂ってきたせいか、上機嫌になった。鼻歌交じりに受け取って、歩き出す。
 袋は貰わなかった。エコ、エコ。

「からあげがそんなに嬉しい?」
「うん、」

 なんたって、降谷が買ってくれたんだ!口では絶対言えないような台詞を心の中で零しながら、自動ドアの敷居を跨ぐ。生暖かい空気が一瞬にして体を汗ばませた。クーラーの利いたとこに入る一瞬も、出た一瞬もわたしは好き。隣ではむしむしする、と苛立ったように降谷が零していたけど、わたしは笑った。
 夏をテーマにしたお気に入りのアーティストの曲を口ずさみながら、暖かいからあげのパッケージから爪楊枝で一個、口に運ぶ。

「……美味しいの、それ」
「うん、降谷も食べる?」
「要らない」
「そう?」
「名前が全部食べなよ」
「じゃ、遠慮なくー!」
「……食い意地すごい」
「何か言った?」

 何でもない。お得意の交わしで彼はわたしから視線を外した。夜でも明るい東京の空は遠い。いつだったか、降谷がそんなことを言っていた。確かに、と見上げれば、星なんて目を細めてやっと一つか二つ見つけられるくらいだ。こんなに明るいのにそれでも夜だというのだからおかしな話でもある。
 からあげがあと二個、と言うところで目の前に見慣れた建物が見える。残念なことに今日の帰宅デートはお終いのようだ。

「送ってくれてありがとう、降谷。ここで良いよ」
「何のために送ってるって、僕聞いたよね」
「え?」

 じゃあね、寂しさを隠しながら言おうとした台詞がタイミングを逃す。もう視界の片隅に入り込んでいた自分の家に背を向けながら、わたしは降谷と向かい合う。車のライトの逆光で、顔がよく見えない。
 無言が続く。何となく手持ち無沙汰にからあげの蓋を止めていたシール剥がしてみた。……次の言葉、言って。わたしの気持ちを代弁するかのように、シールが一際大きな音を立てて剥がれた。

「……自分が女の子だって自覚、ちゃんと持ちなよ」
「……は、あ?」
「僕がいても、どうにもならないことだって起きるかもしれないし」
「……はあ」
「そんな目に遭わせたくないから。……また明日ね」

 文字通り言いたいこと言って、逃げるように降谷はわたしに背を向けてさっさと歩き出してしまった。暫し放心してしまう。
 じゃあ、早く帰りたがっていたのは、野球のためとかそういうのも多少はあるかもしれないけど、
 わたしのためって言うのも、少しはあったの?

「っ、降谷ー!」
「……もう帰りたいんだけど」

 心よりも先に声が出ていた。呼び止めて、振り向いた降谷。今度は逆光じゃなかったせいか、よく顔が見えた。こういう時だけは、都会の明るさに恩恵を感じてしまう。最後の一つになったからあげの袋を持った腕を挙げて、精一杯、笑う。

「からあげ、ありがとう!また明日ね!」

 最後の一個は、彼を見送るまで我慢しよう。再び背を向けて歩き出した降谷の姿を見ながら、ふとポケットに手を入れる。お釣りと一緒に渡そうと思って渡しそびれたレシートが、くしゃくしゃになって入っていた。その皺を片手で無造作に伸ばしながら、わたしは最後の一つを口に頬張る。今までの四個よりも、断然にそれは美味しかったような気がした。





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