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 未だに使い慣れたとは言えない鉄の塊に目を落とす。銃という名のそれはその毒々しい様相を目一杯引き出すかのように光に反射して、そこに、ある。取りたまえ。先程命令をしたはずの張本人はほんの僅か、それこそよく見なければ分からないくらいに顔を歪めていた。言葉や行動は冷酷を帯びているのに。ああ、そうか。彼は、きっと優しい人なんだ。根拠はないくせにそう思った。

「怖気づいたかね」
「……」
「無理もない。その内慣れるだろう」
「嘘ですね」
「ほう」
「あなただって、きっと慣れてない」

 上官である彼に対して無礼とも取れる発言だったことは重々承知している。事実マスタング大佐は私の発言に表情を若干引きつらせた。機嫌を損ねてしまったようだった。初任務、無線からは絶えずどこかからどこかへ発信するノイズの音が響き渡っている。
 一応はこの場での上官である彼がそれに応答しないということは、ここへ向けての発信ではないということだろう。私はさして気にも留めなかった。
 その代わりに目にしてしまった彼の表情が、脳裏にこびり付いて離れない。慣れない人が、無理矢理にでも納得してそれを他人に押し付けるような、その表情。地に置かれた鉄の塊にはまだ触れていない。けれど差し出した手は、躊躇なくそれに向かって伸びていったのが分かった。
 私の意志はきっと、彼みたいに無理矢理にでも納得しようとしている。
 これから人を殺めるかもしれないという可能性に対して、だ。

「士官学校上がりの未熟者が何を申すか。……と、他の将校にはそう罵られた挙句、切り捨てられる可能性があったな、今の発言は」
「今後気をつけます」
「……君みたいな部下を持つ上司の気持ち、私に痛いほど分かるぞ」
「それはご自分に非があってのことでは?」
「耳が痛いな」
「そうですか」

 銃を手にした瞬間に、ひやりとした感覚が寒気となって指先から全身を覆った。動揺するな、汗を流すな、瞳を揺らすな。無理矢理にでも納得させようとしている証拠が次々と感情になって現れてくる。
 こうして私はまた一つ軍人として成長して、また一つ、人としての何かを失っていくのかと思うと歯痒くなった。軍人だって、人であることには変わりないのに。それがあたかも人ではないような言い方。自分自身に加虐しているとしか思えないその考え方に私は自嘲を零した。それなら。それなら、目の前にいる私よりも何年も昔から軍人をしている彼は最早人間ではないのだろう。それでも盗み見た彼の顔、瞳は人が纏う、意志の強さを忘れちゃいなかった。

「……マスタング大佐」
「なんだね」
「先ほどからa-2地点を呼んでいます。ここのことではないのですか」
「おっと、すまんな」

 私だ。そう言ってスピーカーと送話器が一つになった黒々しい機械を手にした彼が顔をしかめた。テロリストに感付かれないようにボリュームを最小限に抑えているため、少し距離を保って片膝を着く私の所にまではその内容は聞こえなかった。
 やがて耳に機械を宛てていた彼が神妙な面持ちで私の顔へ再確認、と言ったように視線を寄越してきた。強行ですか、手短く尋ねる。

「ああ。人質は出来る限り保護せよ、だそうだ」
「またまた。強行突破って言うくらいですからね、そんな可能性低いくせに」
「ワンパターンの行動しか起こせない頭の固い将校殿にはほとほと困ったものだな」
「同感ですと言いたいですがそれ、首刎ねられますよ」
「今後気をつけよう」
「……まあいいですけどね、っと」

 銃の安全装置を確かめた私は静かにそれをホルスターにしまう。彼が鮮やかな色で練成陣が描かれた手袋をキュッと、手首の辺りで嵌め直す。
 一瞬にして険しくなった彼の表情が、暖かみもない氷みたいなそれに変わる。再び寒気が走りそうになった。

「立てこもった場所はカフェテリア。時間は正午過ぎ。人はわんさかですね」
「ああ、そういえば確かにここのポルケッタは絶品だったな」
「来たことあるんですか」
「以前に一度だけ」
「『また』女性とですか?」
「なんだまたとは」
「いいえ、ただ私の配属された部署でもあなたの女好きとやらは噂になってまして」
「ほう、私も有名になったものだな」
「そんなんで有名になりたいですか」
「なりたいものさ。それが例え悪名でもな」
「……」

 彼の意志は、強い。それはまごうことなき人に在るもの。冷たさと暖かさを兼ね揃えた人なんて、そうそういない。この人なら、この人だからこそ、その若さで大佐という地位に立てたのも頷けるのかもしれない。
 それこそ言ってしまえば悪名でも構わないだなんて、とんだ変人だ。国家錬金術師っていうのは調査部のヒューズ中佐が言ってた通りだ。

「バンコクニンゲンビックリショー」
「はは、ヒューズから聞いたか?」
「あなたを見ていたらそんな言い方も納得できます」
「そうか。君は……そうだな、違う出会い方をしたかったものだ」
「口説いているんですか?」
「例えば君はこのカフェテリアに就職していたら良かっただろうな」
「私に死ねと仰いたい訳ですね」
「そうすればそんな震えた目をし続ける君を見ることもなかっただろうな。この先もずっと、言ってしまえば一生、だ」

 震えてなどいないはずなのに見透かされたような気がするのはどうしてだろう。分からない。分からないけれどそんな私に彼は視線を向け、やがて笑いを零した。これからテロリストが立てこもった場所へ真っ直ぐ突入していくというこの猶予に、だ。余裕とも取れるし、誤魔化しとも取れる。ただ彼のその笑みは、そのどちらにもなくただ心の底から込み上げてくる可笑しさによるものだって、私には分かった。けれど、理解は出来なかった。どうして笑っていられるのだろうかと、ただただ不思議そうに彼を見ることしか出来なくて。
 そんな私を彼はまた一瞥すると、直ぐに標的の立てこもる場所へと目線を移した。その無言が告げる。くだらない会話はここまでだと、私は理解した。

「誰も殺すつもりはないさ」
「自信ですか」
「勿論君もだ」
「……努力します」
「準備はいいな?」

 大丈夫です、と答える代わりに私は地を踏みしめる足に精一杯の力をこめた。ここは演習ではなく、本番。一歩間違えれ
ば重症、二歩間違えれば彼の姿をもう二度と見ることもない。生きていくために私は意を決し、地を駆けた。彼の背中を追って、戦場へと飛び込む。この数分後に待ち受けているだろう銃声や悲鳴、血の迸る光景や惨劇など今は考えたくもない。
 ただ、彼の背中を追い、その姿に縋って生き抜くだけ。バンコクニンゲンビックリショー・出場者の先程浮かべた笑いだけがいつまでも私の脳裏には描かれ続けていた。理解出来るわけもなく、理解しようともせず。ただ彼も、人間であるということ。今後は理解するよう努めてみよう。