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 ゲーセン帰りだとかいう倉持に偶然会って、私はコンビニの袋を提げながら彼の隣を歩いていた。少し前を歩くその背中を見つめ、目を細める。心臓の奥のまた奥が、酷く苦しさを訴えていた。今度こそ、今度こそ、ちゃんと喋れますように。

「つーかゲーセンとか余裕すぎ」
「おー対戦は余裕で敵なしだぜ」
「そっちじゃない」
「は? じゃあなんだよ」
「あれだよ」
「どれだっつーの」
「受験」
「……ヒャハ」

 夜食買出しの帰り道のことだった。夜食、イコール深夜。そんな時間まで中学生が遊んでいいなんて法律はないはずだ。むしろ禁止されてるはずだ。それ言っても倉持に通用しないから、私は深い追求をやめた。余裕ですね、と繰り返す。
 追求をやめたいのは、それだけじゃないはずなのに。気付けば私の口は追求を始めていた。求めていたのかもしれない。違うって、否定してほしいわけじゃない。少しだけの沈黙が、欲しいかっただけかもしれない。勝手な女だ。なんとでも言うがいい。追求して、救われることを望んでいる。

「つかさ」
「ん」
「……東京行くとかさ、冗談でしょ?」
「冗談でんなこと言うかよ」

 少しだけの沈黙が、欲しいかっただけかもしれない。ほんの僅かでもいいから迷っていることが分かれば、倉持が遠い存在になることもない。私と同じクラスで、私と同じ年で、私と同じ、子供。
 子供なのに、冒険に出るような彼の勇敢な行動が眩しくて似合わなくて、悔しかっただけなのかもしれない。

「つーかさ、片道一時間も掛からないで東京なんか行けるし」
「まあな」
「冒険でもなんでもないよね。ただ、ここでやんちゃし過ぎた罰なんだよね」
「そう思うなら反対すんなよな」
「近いよね、東京って」
「おう」
「遠いよ」
「どっちだ」
「知らない、ばか」

 ひゃは、と短く笑って倉持は地面の砂利を蹴り飛ばす。もうすぐ冬が終わるというのに、ここはとても寒い。
 海が近いせいだろうか。言うほど近かったっけ、と日本地図を頭の中に描き、思ったよりも東京がどこにあるのかはっきり分からないことに私自身唖然とした。千葉、隣の県が確か東京。それなのに、果てしなく遠い場所のように思えてしまった。
 海があって、まあまあ田舎で、ディズニーランドがあって、魚が美味しくて、新幹線が通ってない場所。
 寒い、と呟く。それに同調するような彼の吐息が白く、空気に浮かんで消えた。

「千葉って寒いんだよね」
「そーだな」
「そういうのも、全部倉持は置いてっちゃうんだ」
「別に置いて行くとかじゃねーだろ」
「置いて行くよ。通り過ぎるじゃん」
「……なに、お前は俺が東京の高校行くの反対なのかよ」
「そうじゃない」
「……」
「そうじゃない、けど」

 彼女でもなんでもない。ただの腐れ縁。それが途切れる、ただ些細なこと。別に平気であって、きっと春が来て偏差値ギリギリで受かった高校に通い始めたら私はきっと倉持のことを忘れるだろう。たまに思い出して、少しだけ切なくなって。毎日ずっと思い出すような一途さなんて持ち合わせていない、でも、それはとても寂しいことなんだって。
 冬の名残を感じさせてくれる風はそんなことを教えてくれた。

「寒いままでいいや」
「お前冬好きだったっけ」
「んーん、どっちかっていうと夏。倉持と一緒」
「だよな。夏っぽい」
「どういう感想なのそれ、嬉しがっていいの」
「いーんじゃねえの」
「じゃあ悔しがる」
「んだそれ」
「キーッ」
「ヒャハハ、サルがいるサル」
「知ってるそのサル、倉持って名前なんでしょ」

 夜の街並みは、きっと東京の方が魅力的だろうな。電柱以外の明るさがなくなった道で、私は彼の歩くペースに追いつこうと足を速める。夜は好きだけど、暗いのは得意じゃない。朝が来なくてもいいけど、明るい日差しがなくなるのは困る。私はそんな女だ。つまり勝手な人間なのだ。
 それからもう一回、日本地図を脳内に描き出してみた。北の北海道から、東北は少し分からなくて、東京があって名古屋があって、大阪があって。海を越えた先に四国と九州。そうだ。

「九州とかいいね。あったかそう。風とか人とか自然とか」

 完全な主観。海を越えれば少しは倉持も諦めてくれるんじゃないかって、そんなことを思ったりもしてみたかっただけ。

「変に近いところじゃなくて、いっそずっと遠いところだったらいいな。そしたら」
「お前頭大丈夫?」
「んー」
「いきなり何言い出してんのか、意味わかんねえんだけど」
「そしたらさ」
「あ?」
「倉持のことも絶対に思い出したりしないのに」

 はあ、と小さく息を吐き出す。マフラーをしていたせいで、自分の吐息が頬にこびりついて妙に気持ち悪い感触が残っただけだった。
 海があって、まあまあ田舎で、ディズニーランドはないけど、魚も何もかもが美味しそうで、新幹線が通ってない場所。なんだ、九州も思うほど、ここと変わらない場所に思えてきた。じゃあ倉持を絶対に忘れるなんて、出来なさそうだ。あーあ。

「あ、でも新幹線最近通ったんだっけ」
「は?」
「九州」
「そうだっけ」
「たぶん」
「じゃあすぐ会えるんじゃね?」
「どーして、そうなんの」
「は? だってお前九州引っ越すんだろ?」
「何、私と将来一緒に九州に住みたいって?」
「……」
「否定してよ早く」
「悪くねーよ」
「……は」
「悪くねーっつったんだけど」
「……」
「否定しろよ早く」

 首を振った。ぶんぶんと大きな音が鳴りそうなくらい、左右に振り回した。がさがさとコンビニの袋が鳴き声を上げて、そんな私を非難しているようだった。
 ありえない。これはきっと倉持の姿を現した、ただの幻だ。倉持という男は私以上に勝手で、私以上にこんな台詞が似合うような男じゃない。それでもってヤンキーだ。

「……くらもち」
「んだよ」
 それでも、どうせ春が来て倉持がいなくなって毎日彼のことを思い出さなくなって、教室で倉持のことを目で追うような毎日がなくなるのは少しだけ寂しいと思ったから。

「一瞬でもいいから、冗談にして」

 幻に甘えてみることにした。倉持が笑う。差し出した私の手はいつまでも温かみを掴むことがなくて、やっぱり幻だったんだと諦めた。そうしてから、私は逃げるようにその場を後にした。
 走って走って、どこまでも走って。必死になって足を動かしていたら、方向を間違えていたことに気付いた。帰るつもりだったのに、どうやらさっきいたコンビニに戻ってきてしまったらしい。自然と零れる溜息、頬を白色の空気が撫でて、それからゆっくりとした足取りで家路へと引き返す。



 途中で倉持に会った。どうやらゲーセン帰りらしい。私を見つけて、おう、と軽い挨拶をして当たり前のように私の隣を歩き始めた。季節はもうすぐ春を迎えようとしている。こうやって私は何人の倉持の幻に出会ったのだろう。いつも欲しい言葉は貰えなくて悔しくて、その度にコンビニまでの道のりを涙で濡らす。

「倉持」
「あ?」
「東京の高校行くって、さあ」
「……」
「冗談だよね」

 この倉持は私を救ってくれるのだろうか。何人目になったら倉持は私を救ってくれるのだろう。この寒い場所から。
 たくさん言葉はあるのに、いつも奴は的外れなことばかり言う。本当に自分勝手な奴ばかりだ。私も、倉持も。