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 怒らないで聞いてくれるかな。私の言葉をきっかけに、海へと向けられていた彼の瞳がこちらへ移った。穏やかな冬の海は、優しく浜辺に打ち寄せては引いていく。私はその様を見続けながら、再び口を開く。決して、サエの方は見ない。

「って最初から期待はしてないから、出来ればあんま無口になるようなことはしないで聞いて欲しいんだけど」
「なんだよ、それ」
「サエ、怒るとすぐ無口になるじゃん」

 サエが笑った、声がした。正直顔を見て、それを言うことは難しいと思った。これからずっと一生、言えずじまいになってしまいそうだったから。

「最近忙しくてさ」
「ああ、最近よく東京の方に出掛けてたな」
「サエ、知ってたの?」
「噂で。東京に彼氏が出来たんじゃないかって皆言ってる」
「こわー。だから狭いサークルは嫌。行動一つが次の日にはみーんな知っちゃってるんだもん」
「コミュニケーションが豊富ってことなんだよ、きっと」
「……別に彼氏とかそんなんじゃないからね」
「俺は何も聞いてないけど?」

 意地悪だ、と悪態付くも、サエの調子は変わらない。私の態度をからかっているような笑い声を上げて、言った。「俺はそんな心配してないから」どこからその自信が来るんだ、傲慢な奴め。口にはしない。サエは怒ると恐い。そんなただひとつの理由だった。

「じゃあ、私が別に六角中に行かなくても、サエは平気だよね」
「……どういうこと?」
「そのままだよ。春になったら私はサエとは違う学校に行くの」
「どこに行くんだよ」
「氷帝。あそこ、スポーツ力入れてるし、受験も受かったし」
「名前さ」
「うん」
「何でそういう重要なこと、ずっと黙ってたの?」

 声色が明らかに変わった。反射的に私はサエへ視線を移してしまう。怖かった。このまま視線を合わせなかったら、サエが何も言わずこから立ち去りそうな気がした。
 案の定というか、サエは驚きに満ちた顔をしつつも穏やかな表情は保ったまま。ただしその目は決して笑っていない。重要なことこそ、陽気に言うべきだよ。どっかの本の登場人物が言っていた台詞をいいわけに使おうとしていた私の甘い考えはものの見事にすっぱりと吹き飛んでしまっていた。

「お、怒らないでって言ったのに!」
「怒ってないよ?」
「笑顔が恐いよ!」

 叫びにも似た私の返答に、サエはちょっとだけ困ったように笑いながら、再び「名前さ」と同じ口振りから言葉を続けた。

「剣太郎とかダビデとか、下の子も寂しがると思うけどなあ、名前が六角に行かないなんて」
「サエは寂しくないんだ」
「ん? 俺は前提だからね」
「……ゼンテイ?」
「俺が寂しがるなんてことはもう当たり前なんだよ。だから口に出すことじゃない。つまり前提」

 拍子、私は言葉を失った。正確には黙らされた。サエはこうやっていつも私を翻弄して、楽しんで、本当、見た目とは対照的な性格をしてると思う。王子様フェイスも台無しだ。

「あれ? 顔赤い」
「キザ! サド! ドエス! キザドエス!!」
「なんだよ、それ」
「うるさいなあ! 私をからかってそんなに楽しいですか!」
「楽しいよ。だから離れるなんて嫌だな」

 どこまで、一体どこまで本気なんだと言ったところで彼の返事は分かりきってる。きっと、俺はいつも本気だよとか、全く説得力の欠片もない軽々しいことを言うに違いない。
 火照る顔をサエから背けた。取り繕うように、海面へ目を向ける。砂浜に座り込んでいた私は、腰を上げた。砂を払い、サエから少し距離を取る。「どうしたの」と尋ねられた声を無視した。
 サンダルが砂に埋もれ、足にジャリジャリとした感触が広がった。音もなく、砂浜を歩き、日が暮れたせいか寒さの増した潮風が髪を揺らす。

「名前、本気?」
「本気じゃなかったら、今頃サエの焦った顔見て、笑ってる」
「焦った顔なんかしてないよ。でも、名前も相当性格悪いなあ」
「も、ってことは自覚ありかよータチ悪っ」
「気持ちはめちゃくちゃ焦ってるけどね」
「……」
「でも、もう決めたんだろ?」

 こくりと頷く。羽織ったパーカーでは寒さが凌げなさそうなくらい、気温が下がってきていた。「このままじゃ風邪をこじらせちゃいそうだね。帰ろっか」私は提案した。彼は無言だった。いや、無言で私の提案を却下したようだ。
 不意にサエが大股で私との距離を詰め始めた。直感で私は逃げる。暗いから、遠かったから、サエと笑ってさよならが出来ると思ったのに。近付かれては、きっと私、泣いてしまう。

「何で逃げるんだよ」
「やだ。だめ。近付くな!」
「俺は名前に近付きたい」
「な、ん、それっ、変態!」
「変態でもいいから、名前、待って」
「やだ! つーか変態でもいいってふざけんな! ランク上げるよ、変態よりさらに変態にするよ! 色情狂とかにするよ!」
「女の子がそんな言葉、言っちゃだめだろ?」
「笑顔で追い掛けてこないでよ、本気で恐い!」

 言ってることがめちゃくちゃだと自負した。それでも私は逃げた。砂浜は走りづらい。それが仇になった。すぐにサエは私に追い付き、腕が引かれた。
そうだ、サエとか剣ちゃんとか、トレーニングでよく砂浜を走ってたんだ。そりゃあ、追い付かれるに決まってる。
 そんなことを考えている内に体は見事に走ろうとしていた方向とは逆に傾けさせられ、私はバランスを崩した。倒れる。反射的に瞑った目はやがて、何の痛みがないことに不信感を覚え、ゆっくりと開いた。
 寒かったはずの体が、温もりに包まれていた。抱き締められてると分かった時、今までにないくらい私は熱くなった。熱が鬱陶しい。それなのにサエはそんな私を見透かしたように更に腕の力を加えた。

「痛、い」
「ははっ、痛いくらいが良いんじゃない?」
「なにそれ、なんか、やだ。ほんとに変態じゃん」
「忘れなくなるだろ? 強いくらいの方が」
「……忘れないもん」

 本当は、とサエの声が耳元で聞こえる。その息づかいが妙にこの距離を実感させるものだから、出来れば止めて欲しかった。でもサエは言ったところで止めないだろう。私のことをからかうのが、大好きなんだから。本当に、性格悪い。

「本当は、行って欲しくない」
「……無理」
「分かってるよ。でもちょっとくらい、素直になって良いだろ?」

 強く抱き締められたサエの体は、実は言うとすごく冷えきっていた。それは私も同じだ。二つの冷たさが集まって出来た、暖かさは離れがたくて。気付けば私はサエの背に手を回していた。サエの言葉で言うと、ちょっとくらい素直になったっていいでしょ、だ。

「ごめんね。でも、行くんだよ」
「ははっ、頑固だなあ、名前も」

 私も本当に、性格が悪い。





ばいばい、サエ。