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 代わらないものだって、きっとある。

「あーもうだめ。俺限界〜」
「はいはい」

 今までハードウェアに勤しんでいた彼は、ぐったりとした表情で私を見た。だからってどうなる訳でもないだろうに。仮眠したら?という私の提案は即却下される。今回の依頼での作業がどうやら佳境を迎えているようだった。パソコンのディスプレイには私には理解不能な言語の羅列。映し出されている画面を十秒でも眺めていたら気分が滅入りそうな代物だ。

「コーヒー?」
「うん、とっておきのブラック、ちょーだい」

 ゴーグル越しの不透明な瞳がこちらを覗き込む。依頼された私はというと、そんな彼に苦笑しながらも読んでいた経済雑誌をソファに投げ置き、立ち上がってガラクタの合間を足場にしてコーヒーメーカーの元へ向かった。その間にも小休止を置いていた若桜は作業を再開している。
 頑張るなあ。
 半さん達も頑張ってはいるだろうけど、この情報化社会のご時世。ITに強い彼に背負わされた物は彼ら以上のものがあるのかもしれない。弱音を吐きながらも何だかんだ卒なくやってしまう若桜に私はこれまた何だかんだ、尊敬している。

「ね、若桜」
「んあ?」
「ちょっと休憩しなよ。せめてコーヒーが出来て飲み終わるまでは」
「んー、うん」
「聞いてる?」
「うん」

 だめだ。聞いちゃいない。
 呆れ交じりの笑いを零しながらメーカーにスイッチを入れる。ゆっくり濾過されていく様子を眺めながら私は、何気なく思ったことを口にした。

「これからさ」
「……」
「これから、どんどん情報化が進んでいって、たとえばこうしてコーヒー入れるのも運ぶのも人じゃなくてロボットがやってくれるような時代になったら」

 若桜は作業に集中しているのだろう。私の背後ではすごい速さでタイピングする音が聞こえる。邪魔になるかな、と思って区切った言葉。けれど予想外にも彼が反応を返してきた。

「なったら?」
「聞いてたんだ」
「俺を誰だと思ってんの」
「フランキー・ジョー?」
「まあ……そだけど何かソレ腑に落ちない言い方」
「あはは」
「で?」

 促すような若桜の声。二人分のコーヒーだから、思った以上に若桜の休憩時間は短いのかもしれない。いや、彼は未だに休憩にすら入っていない。そんなことを思いながら私は依然としてコーヒーメーカーに目を向けつつ、言葉を続けた。

「うーん……うん。多分私職失くすなあと思って」
「えぇ〜?」
「だって若桜にこうしてコーヒー入れることくらいしか手伝えてないし、半さんみたいに体張ったこと出来ないし、青鈍さんやお姉さんみたいに知能高くないし」

 言ってから少し、後悔した。これじゃあまるで慰めてもらいたい人みたいじゃないか。自分勝手に赤面する顔を、背後にいる若桜には絶対バレないとは知りつつも必死で隠す。と、コーヒーメーカーが濾過を終えたサインを示した。顔を覆っていた両手を解放しながら、スイッチを切る。香ばしいコーヒー豆の匂いに、鼻がくすぐられつつ手馴れたように二人分のコーヒーカップに注いでいった。

「そーでもねーじゃん?」
「や、良いよ。ごめん、何か惨めな言い方した」
「違うよ」
「え?」
「こ、れ、は、俺の本心。名前はコーヒー飲み過ぎとストレスで荒れ切った俺のかわいそ〜な胃を解消してくれてるじゃん」
「や、ストレスとか若桜に無縁……じゃなくて。解消してるつもりはないってか今現在、颯爽と胃もたれ促進しようとしてるんだけど」

 トレーに乗せたカップの一つを若桜の座るデスクの上に置きながら、私は苦笑を零した。

「それはそれ」
「どれはどれ?」
「とにかく、それはそれ。……あ、それから眠気」
「眠気?」
「そ。名前見てるとコーヒーだけじゃふっ飛ばしきれない眠気がぶっ飛んでくから、それだけで助かってる」
「嘘だー」
「や、コレ本当だってば」
「……本当?」

 訝しげに聞く私を他所に、若桜は絶対の自信っぷりで「マジで」、と言い切った。そんな清々しさが、私を存分に嬉しくさせていることに本人は気付いているんだろうか。や、多分気付いてないだろうな。熱々のカップを握るつもりは全くないため、トレーからテーブルに移動させた自分の分のコーヒーには未だ手を付けるつもりはない。対照的に若桜は熱さが苦にならないのかどんどんとその中身を減らしていった。余程眠たくて、余程起きてなくちゃいけない仕事なんだろうな。

「なら、良いんだけど」
「なに? なんか腑に落ちてない感じ?」
「ううん、そんなことない。誰かに必要とされてるって、嬉しいもんだよね」
「そーいうもん?」
「そういうもん。だからこのまま人と人が会話しなくてもいいような社会が来るのが本当は少しやだなーとも思う」

 ようやく持てる範囲の温度になったカップを手に掛ける。依然としてタイピングする若桜の手は止まりそうにない。こんな時ぐらい休憩すればいいのにと思ってしまう私はまだまだ甘い、のだろうか。

「へえ?」
「わ、白々しいなー。若桜が一番知ってる癖に。何でもかんでもコンピュータ任せにして、今まで煩ってきたこと、全部その目の前の便利な箱が勝手にやってくれるんだよ?そんなの依存するに決まってるじゃん。で、そんなどんどん寂しい人間ばっかになっちゃっていくの。会話もコミュニケーションも、そもそもそんな単語すら無くなっちゃいうかもしれない」
「あー、そかも」
「でしょ?」
「でも」
「うん」
「名前にゃ一生無理じゃね?」

 う、痛いところを突かれた。いつの間にか若桜はタイピングする手を止め、キャスター付きの椅子を回してこちらに目を向けている。もしかして、少し汲み取ってくれたのだろうか。
 取り残される私の、寂しさって奴を。

「まあ私は未だアナログ人間だからね」
「いつか天然記念物に指定されたりして」
「わ、それちょっと嬉しいかも」
「ジョーダンだよ、ジョーダン。見世物扱いになったら俺が困るって」
「そうだよねえ。でも、そういう社会が来たら、私みたいなコーヒー係り要らなくない?」
「何言ってんの?」

 若桜は再びパソコンのディスプレイの方へ体を向けてしまった。まるで私から隠れるみたいに。え? と聞き返した私に返答するかのように若桜は、持っていたコーヒーカップを机の上にわざと大きな音を立てて置いた。

「名前が不要になっちゃう日なんて一生来ない」
「そういうもん?」
「そーいうもん! パソコンは部品変えりゃ代替品はあるけど名前にはないっしょ」
「……うん」
「そーいうこと。あ、これ、ごちそうさん」

 若桜が器用に片手の指二本でカップをこっちに寄越す。その間も空いた方の手はキーボードを叩き続けているという芸当に私は思わず関心してしまう。器用だなあ。ハード面においてもだけど、ソフト。人の感情にも彼はこんなにも器用に入り込んでしまう。その快活な性格ならではの長所なんだろうな、と彼からカップを受け取りトレーに乗せる。
「でもー」
「ん?」
「私に代わりがないって言うんだったら、若桜にも当てはまるんだからね」
「でー、その心は?」

 何年か前にブームが来てた落語かなんかのつなぎの言葉をふざけたように紡ぐ若桜の頭を軽く小突く。立ち上がったついでに自分の分のカップもトレーに乗せながら、私は彼に背を向けた。彼がこちらに顔を向けていないとは言え、背中を見ながら言うには恥ずかしすぎる。そんな意地っ張りな私の性格が災いしての行動だった。

「あんまり無理するなって言ってんの!」

 お互い言葉を向ける先を間違えている状況。彼に私の声が聞こえたかどうかはわからなかった。ただ先程まで小うるさい程の速さでタイピングしていた彼の指が、若干遅くなっている。流しに二つのカップを置きながら何となくそのことに気付いた時、私は思わずトレーを胸の前で抱きしめて笑いを堪えてしまった。


テクロライフ