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 騒々しい人波の中でも私は彼をすぐに見つけることが出来る。これはちょっとした、特技だ。もちろん、進学願書になんて書けるわけないけど。

「あ、いたいた、暁ー」

 少し目を離した隙に広々としたスーパーマーケット内で私達は見事にはぐれてしまった。今日は降谷家で鍋だ!そんな暁ママとのちょっとした談笑から二人のお遣いが始まったのは丁度一時間前のこと。
 私の家と暁の家は近所で、小さい頃から親同士の仲が良かった。だから今日こうして一緒に買い物をしていることだって傍から見れば特別なことじゃない。けれど私にとっては特別だった。と、ちょっぴり秘密にしている自分の感情に、心が暖かくなっていく。
 見知った近所のおじさんがいる野菜コーナーを抜けて、ちょっと苦手なおばさんのいる精肉コーナーを通ったところで、私と暁は離れ離れになってしまった。お肉を選び終えた私が、辺りを見回す。すぐに彼は見つかった。こうも広々としているのに、と自分でも不思議に思うけれど、これはきっと、恋する乙女の直感、とか恥ずかしいことを理由に、それ以上の言及は避けた。彼にその気はないんだから、自惚れちゃいけない。「探した」
「えっ、それはこっちの台詞!」
「どこいたの?」
「お肉選ぶって言ったじゃーん」

 独特なにおいの魚コーナーは、ある意味、最も苦手な場所だった。ほら、そんな会話をしている間にいつものおじさんがこっちに気付いて大きく笑いながら、近付いてくるのが見える。

「よう、名前ちゃんに暁くん! 今日もデートかい? お熱いねえ」
「ちょっと、おじさん!」

 付き合ってもいないのに、一緒にいるとこうして何かと勘違いされやすくてその度に私だけが必死に否定する光景はいつものことだった。そして、その度に私は、虚しくなる。そんな様子を暁は我関せず、といった感じでどこを見ているのやら。とにかく、早く通り過ぎようとした。けれど、暁は依然としてその場に立ち尽くしたまま動こうとしなかった。

「暁ー?」
「……かに」
「ああ、かにね、食べたいのは分かるけど今日はチゲ鍋だよ」
「チゲだってかにあってもおかしくないよ」
「そりゃおかしくないかもしんないけどさ」

 ある意味我儘のような暁の言い分に私は暁ママから手渡された買い物メモを見ながら、苦笑を零す。メモのどこにも『かに』の二文字は書かれていなかった。

「暁ママのかに玉美味しいもんね」
「かに鍋食べたい」
「いや、だから今日はチゲ……」
「お、そうだ、名前ちゃん!」

 言い掛けたところで例のおじさんから声が掛かった。また何か言われるのかと怪訝そうにそちらを向く。私に釣られたのかはたまた声に釣られたのかずっと終始かにを見ていた暁までもがそちらに視線をよこした。いつも元気そうなおじさんが、いつものようにハチマキを頭に巻いて、何事か売り場に手を向けていた。

「いつも見せつけてくれるお二人さんにサービスだ! ほら、これやるよ」
「あ、かに」
「え、かに、じゃなくて! み、見せ付けてなんかなっ」
「ありがとう、……ございます」
「暁も受け取るな! 認めるな!」
「何で?」

 しれっと何を言ってるのかこいつは! と、そういえば今までずっと持っていて、籠に入れていなかったお肉のパックを半ば乱暴に暁が持つ買い物籠に投げ入れる。寄ったらどうしようとか、もうこの際気にしないことにした。それよりも気にすべきことは自分の顔が赤くないか、それだけだ。
 結局暁が赤い赤いそれはもう美味しそうなかにを受け取ったことで満足したのか、おじさんは颯爽とどこかへ去ってしまった。後に残された私達は何事もなかったかのようにその売り場を後にする、けれど、何事もないと思っているのはきっと暁だけ。

「……また変な勘違いされるじゃん。ていうか、された」
「変な勘違い?」

 肩を並べて、二人歩き出す。魚コーナーを抜けたら直ぐにレジが見えてきた。二人だけのお遣いはもうすぐ終わりなのかと思うと、寂しいような、でもすぐにでも恥ずかしさからここを出たいような、微妙な心境だった。これもあれです。乙女の、なんちゃら。ああ、恥ずかしい。

「つ、付き合ってるとか、さ」
「ああ」
「ね? 暁だって困るでしょ?」
「何で?」

 さっきと同じような回答。だけれど、とここで私の心は一瞬真っ白になる。いま、今、君なんて言いました? 言葉に出せない膨大な感情のほとんどが疑問から成り立っていた。何で? まるでそれは、
 別にそうなっても、構わない、みたいな言い方。

「別にそうなっても、いいんじゃない」
「っ!」
「名前は……嫌、みたいだけど」

 ぷいって、視線を顔ごと逸らす。この癖を私は知っていた。心が、嬉しさなのか恥ずかしさなのか、よく分からない感情を理由に疼いている。
 彼がこうして視線を逸らすときは、不機嫌なとき。

「……いやじゃない」
「え?」
「嫌じゃない、よ」
「うん」

 ありがとうございましたーと、愛想よくレジでお辞儀をするバイトの人は見たことのある人だった。ああ、そうだ。二つ角先に住んでいる一人暮らしの大学生のお姉さん。働いている姿はいつも会う度元気に挨拶してくれる姿を彷彿とさせた。その列に並んだ私と暁を見るたび、彼女の方も私達を覚えてくれていたのか「あ、こんにちは」と可愛い声で迎えてくれた。暁が持っていた買い物籠を、レジの台に置く。手際よくその中の商品をレジの赤外線に宛てながらやがてお姉さんが軽快に口を開いた。

「いいなあ、二人で仲良く買い物?」
「あ、えと」
「そうです」

 さっきとは打って変わって暁がてきぱきとお姉さんの質問に答えていく。立場が逆転したみたいに私は言葉が上手く出なくて、ただそんな暁を見上げるだけ。そういえば、大きくなった。首を傾ける角度も、慣れていたものとは違っていて少しだけ感慨深くなったり、それでも暁を好きだと確信したり。

「二人は付き合ってるんだー?」
「え、……と、」
「そうです」

 いつ、どこで、どうして。
 浮かび上がる質問は山ほど。結局上手い応対が出来ずにいた私を、心情が分かるよ、とでも言いたげなお姉さんが笑いかけてくれた。レジが打ち終わって、お金を払う。

「幸せそうだもん。羨ましいなあ」

 受け取ったお釣りと、レシート。それから、言葉。……彼氏いないんだ。モテそうなのに。的外れなのか、一般的な感情なのか分からない言葉が出そうになって私は慌ててそれを飲み込む。財布に受け取ったものをしまっている内に暁はさっさとレジ袋の入った籠を、レジとは向かいにある荷物を詰めるための台の方へと持って行ってしまっていた。

「またねー」
「あ、はい。あ、りがとうございました」
「ええ? ……ふふ、こちらこそ」

 ありがとうございましたー。
 いわゆる、お客と店員みたいな言葉の交わし方を最後に会話は打ち切られた。そそくさと暁がいる方へと、近付いていく。けれどあくまで、歩く早さはいつも以上にゆっくり、だった。
 近付いても、私には今どうしたいいかわかんない。

「何してんの?」
「え、」
「早く帰るよ」

 そんな私を不思議に思った暁が、こちらを見ながら買い物籠を所定の回収場所に重ねていた。え、と……。言葉はやっぱり上手く出てこなくて、でも、本当は近付きたくて。出口の見えない試行錯誤に囚われながら、とりあえず私は少しだけ歩くペースを早くした。

「……」
「え、ちょ、っわ」
「帰るって言ってる」
「わ、分かったから手! 手!」
「手?」
「つ、つなぐの、」
「いいじゃん。付き合うんだから」

 綺麗に食材が収まっているレジ袋を片手に、暁は有無言わさず私の手を取りスーパーマーケットの出口へと足を向けた。外はきっと、寒いだろうからこれはこれで暖かくていいのかもしれない。けど。けど、どうにもこうにも、私の心臓が、持たなそうだ。じんじんとしもやけのような痒さをもたらしそうな自分の右手。そこに与えられている熱を直に感じながら、自動ドアを潜った。木枯らしが吹いている。
 魚コーナーのおじさんにタダで貰ったかにがこっちを向いて、暁の歩く振動に合わせてゆれていた。生きているはずも笑うはずもないかに。意味もなく、それと睨めっこをしながら、いつまでたっても消えない火照りと、収まらない熱に私は少しの戸惑いと確かな歓喜を感じていた。

「……そう、だね?」
「何で疑問系なの」