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 ぐねりと曲がる上体に感嘆の息を漏らした。野球どころかスポーツ一般を苦手分野とする私にとって、今目の前にいる男は尊敬の域に位置している。

「んだよ、そんな見つめんな。気持ちわりぃから」
「……」

 前言撤回。以後、奴に尊敬なんか絶対するものか。

「はいはい分かったからさっさとダウン続けてよ」

 柔らかな肢体を更に曲げる倉持の背を押し、私は半ば自棄の入った口調で吐き捨てた。どこまで曲がるんだこの背中は、と驚きつつも、触れている自分の手に目をやる。なんだか今更気恥ずかしさが込み上げてきた。それを奴にだけは悟られないようにと、今までゆっくり押していた手に力を強く込める。そこに来て漸く倉持が非難と苦痛の声を上げた。

「痛ぇよ、アホ! 急に力込めんな、アホ!」
「アホ二回言うなアホ!」
「テメーこそ二回言ってんだろーが! さっさと手離せ!」

 眉根を寄せながら私は渋々、倉持の言うとおりに従った。癪だ。

「あー……名前のせいで筋切れるかと思った」
「一気に乳酸出て効率良かったんじゃない」
「ヒャハハ、やっぱアホだ。プラスバカ。早くダウンすりゃいーってもんじゃねーんだよ」
「そんくらい知ってるしー」
「あっそ」

 べったりと膝に顔をつけている光景は、まるで体の柔らかい子供みたいだ。背を押すことも頼まれなかったため、やることがなくなった私は、手持ち無沙汰に思いながらも彼の側にしゃがみこんだ。膝に腕を預け、頬杖をつく。練習が終わった後。監督から解散の言葉が言い渡されて、見学していた私は今こうして倉持の側で彼のダウンに付き添っていた。

「つーか」
「ん?」
「暇人だよな、お前も」
「そう?」
「ああ」

 ぐっと上体を起きあがらせた後すぐに反対の膝を目標に彼が背を丸めていく。至極ゆっくりしたペース。別段急ぐ必要性がないとは言え、私の手持ち無沙汰を早く解消してくれる気はないのかと思うと心情は複雑だった。まぁクールダウンは念入りにやるものだし。と、以前倉持から聞いた知識を無理やり言い訳にして自分に言い聞かせた。焦らせる必要も、急かす必要も私には出来ない。それほどに倉持は、野球に対して真剣なんだから。……ていうか、それくらいの真剣さを普段にも活かして欲しいと思うくらいだ。

「忙しくねーの?」
「んー?」
「もっと充実させればあ? コーコーセイカツ」
「うわ。何かムカつく」
「じゃねーとすぐに禿げるぞ」
「禿げに言われたくねーよ」
「んだとコラ!」
「私は生え際危なくないもん。まだ健やかだもーん」
「んな言い方しても可愛くねーから」
「……」

 どうせ私は高校生活充実させてない上に可愛くないですよ。唇を尖らせながら小さく吐き捨てた言葉。嘘が一つだけあった。私の生活は充実してる。絶対目の前にいる奴には言わないけど。
 野球するあんたを見る毎日に、色褪せなんかあるはずがない。

「ふー……」
「は、ストレッチでそんな親父臭い声出してるような奴に可愛くないとか、とやかく言われてもねぇ」
「……」
「ねぇ」
「んだよ」
「乳酸出てる?」
「おー、バッチリ」
「そりゃ若い証拠だ」
「ったりめーだろ」

 隣で上体を起こした倉持が地に置いていたタオルに手をやったのを私はただ見ていた。こうして汗くさい青春を見つめるのだって、充実の一つの手段だと、私は思っている。他力本願かもしれないけど、私は倉持の走る姿に全部を賭けてるんだよ。

「じゃあ元気に毎日走り回って汗くさい倉持に一言」
「その一言も二言も多い口をどうにかしてから言ってくんね?」
「え? やだ。無理。だって一生どうにもならない自信あるから」
「ふざけんな。そんなんだから男出来ねーんだよ」
「……」
「だまんな」
「口が多いって言ったり黙るなって言ったり、倉持も相当だよ」
「ヒャハ、何が相当なんだよ」
「彼女出来ない感じが相当」
「うるせぇ」

 で、なんだよ。
 促す倉持の台詞に一呼吸、沈黙を置いた。タオルを頭から被り、こちらを見ていない今しかきっと言うチャンスはないだろう。訝しげにこちらを見る前に、と私は矢継ぎ早に口を開いた。

「今週末から予選始まるよね」
「おー」
「甲子園行くよね」
「まぁな」
「もちろん、一番ショート、倉持だよね」
「ったりめーだろ」
「じゃあ」

 お願いだから、言った後こっちを振り向くなんてベタな反応しないでね。

「私を甲子園に連れてけ」

 それなのに私の願いとは相反して倉持はこっちを見てきた。予想の範疇でしかリアクション出来ない奴め。ちょっとは予想外なことでもしてみせろなんて、恥ずかしさを隠すためだけの逃避的な思考。

「は?」
「あ、それも予想通りの言葉だ。ワンパターンな男だなあ」
「や、待て。お前今なんつった?」
「女に二言はない!」
「男だろ」
「つかダウン終わった? んなら、私も帰るよ?」
「は、ちょ、待てっつーの!」

 座り込んで同じ姿勢でいたせいか、今にも痺れそうな膝に鞭を打って私は歩き出す。ダウンまで倉持の毎日に付き合っている私の気持ちにまだ気付かないような男だからきっとさっきの言葉もうまく解釈出来ずにいるんだろうな。
 そっと振り返った先。点灯し始めたナイターの光が、倉持の今まで見たことのない困惑した表情を照らし出していた。

「どーいう意味だよ今の!」
「ほんと鈍感。ていうかなにその顔」
「訳わかんねー。けど俺も一つ言うと」
「なに」
「お前に浅倉南は100年はえーよ!」
「それじゃ100年後また言うわ」
「おせーよ!」
「どっちだ!」



青春謳歌