×小説 | ナノ








 初対面は複雑。出会いは単純なのにそこに付随する感情の中には、幾重にも渡ってほどけそうにないわだかまりがあった。そんな高校一年生の、初夏。

「りょーすけー」

 言い慣れた名前とは違って、亮介といつも一緒にいる男の名前は一度も呼んだことはなかった。明るい髪色をした亮介が俯いていた顔を上げる。その手元にある綺麗に整理されたノートを見て、私は無意識に笑みを浮かべてしまった。勘の良い彼ならそれで気付くだろう。そう考えたのと同時に亮介はやれやれと言った様に口を開いた。

「授業中寝てるから分かんなくなるんだろ」
「でもあの先生の話し方眠いじゃん。それに」
「それに?」
「亮介のノート、綺麗で見易いし。貸して」

 差し出した私の手。まるでずっと昔から私の性質を知ってくれているような亮介の手が静かにノートを差し出す。相対して私も彼の性格を忘れちゃいない。ありがとうと言った後ですぐに言葉を付け加える。「ジュース奢る」。亮介の口元に浮かぶ笑みを見ながら私はそう言った。

「当たり前……」
「わ、オレサマ」
「悪いのは名前だろ?」

 名前。
 亮介もそう呼ぶ。だけど、

「オイ、名前」

 彼が私を呼ぶことだけはどうしても違和感が拭えずにいた。だって私と彼の間にそこまでの接点は存在していなかったから。

「……い、伊佐敷」
「またノート借りてんのかよ」
「うん、まあ」
「だってほら純、さっきの授業中」
「あぁ、でけーいびきだったな」
「えっ嘘! いびき掻いてた私!?」
「掻いてた掻いてた」

 くつくつと笑う亮介。相反するように眉頭を釣り上げ険しい表情をした伊佐敷の顔を見て、私は自分の顔が熱くなったのを感じた。

「わー、はず!」
「みんな笑ってたよ」
「嘘!」
「まぁ嘘だけど」
「えっ、どっち!」
「まぁ嘘だな」

 予め打ち合わせしていたような二人の会話の流れ。一度に理解しきれてない私の困惑に意地悪な亮介の笑いが答える。冗談だと気付いた時には更に私の顔は熱いものに変わった。

「わー最悪、イジメだ」
「イジメじゃないよ」
「じゃあ何」
「……嫌がらせ?」
「やっぱり最悪!」

 呼応するみたいに伊佐敷が豪快に笑う。眉を潜めた私の納得の行かなそうな顔を見てまた一頻り。小湊! クラスの男子が亮介を呼ぶ声がした。呼ばれた彼が私に背を向ける。その間も伊佐敷は口元に手をやりながら目を細め、笑っていた。笑い過ぎじゃない、いい加減。そう言いかけた私の呼吸を遮るように亮介が席を立つ。視線がそちらへ移動したが特に引き止める理由もなかったから何も言わなかった。それより気になるのは亮介が向かった先、

「あ。伊佐敷」
「あ?」
「オンナノコ、オンナノコ」
「あぁ、そうだな」
「告白かな」
「知るか」

 半ば投げやりにも思える伊佐敷の声を聞きながら私は教室の後ろのドアに目線を時々合わせる。亮介に話し掛ける女の子の顔はほんのりと赤色を帯びていて、端から見れば一目瞭然だ。やがてどこか場所を移すためか、亮介とその女の子は教室にいる私の視界から消えた。裏庭とか、大抵そんなとこかな。それにしても、と私はいつの間にか亮介の席を陣取る伊佐敷の姿を見下ろした。どこから取り出したか不明な漫画に浸る男に私は溜息をついた。

「亮介ってモテるよね」
「あーまぁそうだろ」
「性格怖いのにね」
「言うだろ。何とかは盲目だってな」
「恋?」
「あぁ」
「盲目、ねー」
「俺には分かんねーけどな」
「私も。サッパリ」
「……」

 あれ、何だろう。この会話。
 ふと浮かび上がった疑問。伊佐敷とそこまで接点を持っていなかった私が今色恋沙汰について伊佐敷と話してるなんて不思議だ。接点を持たなかった理由、は、第一印象。初対面からガン付けしてくる様な男に良い印象なんて持つわけない。高校一年生の入学式、同じクラス、近くの席。出会いはどこにでもありそうな単純なものなのに、初の対面は伊佐敷に対して複雑過ぎる感情を私に与えた。
痒くもない頬を掻いてみる。慣れてしまったということだろうか。あんなに苦手だと思っていた形相も、大きな声も。反して心の中にいつまでも居座り続ける伊佐敷のさっきの笑い顔。また、頬を掻いた。

「……伊佐敷も」
「あぁ?」
「伊佐敷も怖いよね」
「……そーか?」
「うわ。自覚ないんだ。恐ろし〜」
「別に普通だろ」
「吼えるじゃん、よく」
「うるせぇ」
「でも中身優しいよね」
「……は?」
「少女漫画好きだし」
「……」
「何気に優しかったりするし」
「お前大丈夫か?」

 ページをめくっていた伊佐敷の手がピタリと止まる。自分でも何を口走っているのか理解出来ずにいた。大丈夫って、何がだろう。……うーん、うん。大丈夫だよ。納得することもないのに一人唸った後にそう口にする。や、訂正。納得することあった。初夏になった現在、伊佐敷が所属する野球部はもう予選が始まってるらしい。入学してからおよそ三ヶ月が立ちそうな今、私は当初抱いていた伊佐敷へのイメージが変わりつつあることを自分自身に認めた。接点を持たなくても亮介と話す奴を見ていれば分かる。
 怖い、うるさい、厳つい、近寄りがたい、犬みたい。
 意外と優しい、強い、少女漫画好き、話すと普通、……まぁ犬みたいなのは今も変わらない。
 整理するように頭の中で比較しながら私は自然に零れる笑みを隠そうと手を口にあてがった。伊佐敷が私の名前を呼ぶ。亮介と一緒にいるせいだろうか、最初は苗字で呼んでた癖に今では名前呼びだ。それも、違和感を持っていたんじゃなくて。
 ただ単に恥ずかしい、だけだった、とか。

「やだ」
「はあ?」
「自分が」
「んだよ、いきなり」
「伊佐敷」
「あ?」
「……伊佐敷、純だっけ名前」
「テメェ」
「純かあ」
「純粋の純だぜ」
「不純の純だね」
「殺す!」

 持っていた漫画の角が私に襲いかかる。それはハンパなく痛いから嫌だと逃げれば逃げるな!と怒鳴られた。怒鳴られたのに私は笑いが止まらなかった。用事を済ませて帰ってきた亮介が私達二人の姿を見るなり性格の悪さを露見させるような笑みを浮かべて、口を開いた。

「何、犬同士でじゃれあってんのさ」
「純だけじゃなくて私も犬!?」
「も、って何だ名前!! 喧嘩売ってんのか、あァ!?」
「喧嘩ならうるさいからよそでやってね」
「ひどっ!」

 結局告白だったのかどうか聞きそびれた。まあその後もそれらしい噂を聞かなかったから多分断ったんだろうな。私はと言うと、今、純に恐怖心はない。代わりにあるのは……まぁ、察して下さい。


規制緩和
「亮介ー純の次にノート貸してー」