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 ふわりと浮かんで、緩やかなフォークボールみたいに落ちた。改良に改良を重ねて作った紙飛行機を拾い上げた手が、至極不機嫌そうな男のものだということに気付いたのは少し後だった。

「何してんのさ」
「紙飛行機投げてた」
「俺の試合も見ずに?」
「うん」

 だってあそこに行ったらわたし以外の誰かが必ず鳴の名前を呼ぶじゃない。そんな本音はしっかりと隠して、また一つ、紙飛行機を投げる。それを見た鳴が何個作ってんのさ!と驚いたように声を上げたのをきっかけにわたしは笑った。試合が終われば、マウンドから降りれば、そんな苛々も消えるからだ。例え鳴がその歓声を何とも思っていなくてもわたしは思うのだ。ああ、嫌だなぁ、と。単なる我儘だから口には出さないけれど。

「こないださー、テスト悪くて」
「証拠隠滅って奴?」
「そう、全部で四個作った」
「てことは四教科?」
「……黙秘ー」

 暑い、と呟きながら鳴は薄い色のアンダーシャツを腕捲りする。練習試合終わったんだから、着替えればいいのに。そう答えたわたしに、とてつもなく意地悪な笑みが向けられる。

「だって前に名前言ってたじゃん」
「何を」
「俺のユニフォーム姿好きだーって」
「……」

 またも黙秘。木の陰に座るわたしに照れない照れない!と元気いっぱいに言っては隣に陣取るように座られた。ムカつくのでさらに黙秘と言う名のスルー。手元にあった紙飛行機をまた一つ、飛ばした。作り方が悪かったのか、それはすぐに高度を落とし、地面に近付いていく。そのまま風に吹かれて横に滑り、着地する様を見ながらわたしは漸く口を開く。

「練習試合、どーだった?」
「そりゃもう完璧に決まってんじゃん!」
「どうせまた好き勝手やって途中降板したとか」
「へへーん、今回はなかったよ! 何たって俺エースだもんね!」
「……今回は、でしょ」
「うわー、ひどー」

 何が酷いんだか。まぁ、完璧、という本人の言葉の信憑性はその表情からも窺い知れる。自信満々、と言った笑顔は人懐っこさを含めていて、それがまた誰かの心の中で特別な存在になってしまったのではないかと考えてしまえば一気に募る不安。わたし以外の誰かにとって、鳴が特別な人になるなんて嫌だ。
 それがマイナスの感情だと言うことは、知っていた。

「名前さ、いつになったらいい加減試合見に来てくれるの?」
「来てるじゃん、今日だって」
「ちっがーう!ただ来だけじゃなくて俺は見に来て欲しいんだよ!」
「……そうだなー、」
「名前が試合見てくれたら俺もっと頑張れそうなんだけどなー」
「……鳴を見てる女の子が一人もいなくなったら行くよ」
「え」

 あー。失敗した。暑さにやられ始めた頭がすぐさま発言を後悔と捉えるけれど面倒になったのでそれ以上は何も言わなかった。それが災いしたのか、ぼうっとした考えの中で鳴が少し驚いた後にすぐ笑顔になった意味を見つけることは困難を極めた。いつもボールを握る左手で笑う口元を押さえながら、ばかだなーなんて、こっちの台詞だ。
どうしてそんなにかっこいいの。いっつも不安なの。

「そんなの気にしてたんだ?」
「別に気にしてるとかじゃないけど、ただ自分が苛々したくないだけ」

 もうここまで口を滑らせてしまえば後はどうでも良かったから、スラスラと今まで我慢してきたのがバカだった、と思えるほどに本音を吐き出す。何が楽しいのか、鳴はまだ笑いを堪えようとしていた。

「ばかだなー」
「二回言わなくて良いって」
「ばーか」
「さ、三回……」

 そんな何度も言わなくても良いじゃん!と言おうとしたけど何だか図星に対してムキになって言い返そうとしているようで恥ずかしいから止めておいた。手元には一番オーソドックスな折り方をした最後の紙飛行機が残っていた。多分元々は化学かなんかの解答用紙だったと思う。
 鳴がおもちゃを見つけた子供のような表情でそれを見つけて、わたしの手元から取った。

「次は試合見てよね」
「だから言ったじゃん。女の子がいなくなるまでって」
「それじゃ一生見れないじゃん」
「見れなかったら見れないで良い。野球してる鳴も好きだけど、わたしと二人で居てるときの鳴も好きだから」
「うわー! それ殺し文句!」
「だから、見なくて良い」
「でも俺は嫉妬してる名前も見てみたいなーなんて」

 は、と呆気に取られたような声と同時に溜息も出た。狙いを定めているのか片方の目を閉じて、飛行機を持った手を前に差し出す。それに、続けざまに言った鳴の言葉は風に乗った飛行機がもしかしたらずっと地上に落ちることはないんじゃないかっていう幻想を抱かせるほど、淡くてくすぐったいものだった。

「そんなの気にしなくても、俺が一番好きなのは名前だけ」

 どう感じても三十度超えした日の正午、木陰にて額の汗を拭う。見てもいないはずの試合風景が自然と脳裏に浮かび上がっては納得する。本音を言ってしまえば、試合中だろうがなんだろうが、鳴を見ていたいって思っていること。
 流石にこれは気恥ずかしすぎて言えないだろう。これからも、ずーっと。



それは秘密
(三回投げたわたしよりも上手く飛行機が飛んだことに子供みたいに笑う鳴の顔を見ながら、そんなことを思った)