×長編 | ナノ


I unsealed the new paste and...

目を開いた。
けれど視界は布団に覆われていて、うまく状況が飲み込めない。
ただただ、後頭部がずきずきと痛みを帯びていることに戸惑いと嫌気が差していくだけ。
私は、どうして横になっているんだろう。
そう考えを巡らせていた時だった。

...How does this world look to you?

歌声。
目を閉じる。
誰、なんて思う必要もない。
耳と体と、意識が記憶を植えつけている。
矢島さんの滑らかな英語の歌が、すうっと体に入り込んでくる。
心なしか、後頭部の痛みが引いたような気がした。
それはいくらなんでも思い込み過ぎかもしれないけれど、でも、心地良い。
一曲、歌い終わるまで寝ている振りをしようか。
そんな風に思った。

「……起きてる?」
「……」
「別に構わないけど、狸寝入りも程ほどにね」
「……な、んで分かったんですか」
「ああ、本当に起きてたんだ」
「!……はめっ」

はめられた!いや勝手に私がはまった!
気まずく思いながらも、布団からそろりと顔を出す。
いつもの矢島さんが、椅子に腰掛けてこちらを見ていた。
制服、辺り全体が白い風景。
ここは、と思うが同時。
矢島さんが静かに口を開いた。

「頭」
「へ」
「頭は大丈夫?」
「あた、ま……。も、元々だめです」
「そうじゃない」
「あ、違うんですか」
「ぶつけた所だよ」

ぶつけた、という単語で少しずつ思い出していく。
ああそうか、私、職員室から矢島さんと一緒に歩いてて。
馬鹿みたいに足縺れさせて、バランスを崩して、それで。

「……で、どうしたんですか」
「自己回想した続きを俺に聞かないで」
「え、えーと。転んだんですよね、私」
「そう。で、ここ、保健室」
「……あーなるほど」
「ちなみに今午後四時半」
「四時半!?」

矢島さんから聞いた事実に驚きの声を上げると同時に体を起き上がらせる。
四時半って、昼休みはおろか、授業すら終わってるじゃないか。
口を動かそうにもうまく言葉に出来ない私を、矢島さんがおかしそうに笑った。

「起きて平気?」
「え、あ、はい。それは平気ですけど。ほ、本当に四時半なんですか?」
「ああ。随分と熟睡していた」
「もしかして……見てたんですか」
「授業が終わってから、ね。部活までまだ少し時間があるし」
「……はずかし、」
「どうして?」

どうしてって、寝顔を、しかも矢島さんに見られるなんてこれ以上ないくらいの恥ずかしさだと思う。
そんなことを知ってか知らずか矢島さんが、そっと私の方へ腕を伸ばしてきた。
自分でも驚くほど、肩が上下してしまう。

「そんなに怖がられても」
「あ、すみません……」
「ただ、傷の様子を見るだけだよ」
「傷、?」
「少し腫れてる。仰向けで寝るのは痛くなかった?」
「別に、特には……」

そこで言われてようやく痛みが舞い戻ってきたような感覚に陥った。
後頭部がじわじわと熱を帯びていく。
もしかしたら元々熱を持っていたのかもしれない。
いずれにせよ、結構な痛さをあるのは確かだった。
でもそれだけじゃない。
後頭部に熱が帯びていくのは、彼が、矢島さんが手を当ててその部分を擦ってくれているからだ。
俯きながらもその優しい手つきに目を閉じる。撫でられているようなその感覚。
いつまでも触れていて欲しいなんて、願っちゃいけない望みを抱いてしまった。

「他に痛む所はある?」
「ないで、す」
「じゃ、歩けるね」
「……はい」
「あんまり遅いと親御さんも心配するだろう。……そうだな、うちの車で送ってあげる」
「え、?」
「どうしたの」

立ち上がろうとした矢島さんの、腕を掴む。
咄嗟のこと過ぎて、自分でもどうしたいのかがよく分からないまま、回答を迫られた。
黒い瞳が私の姿を映し出す。
その視界に入れただけで満足していたのに、どうして。

「……もう少し」
「ん?」
「もう少し撫でてて欲しい、です」

どうしてそれ以上を望んでしまうの。

「部活……その、時間がないなら全然構わないんですけど」
「……」
「あ、の。矢島さん……?」
「あと五分だけ」
「ご、……ごめんなさい」
「別に謝って欲しいわけじゃないから」
「でも」
「盛大に転んで、でも大したことなくて安心した」
「……ありがとうございます」
「そう、それ」

ごめんじゃなくて、ありがとう。
ふさわしい言葉を選んだ私の目に矢島さんの小さな笑みが映された。
私の髪を時に遊ぶように弄っては何度も往復する、矢島さんの手。
耳の奥で彼の歌声を思い返しながら、私は今という時間に酔いしれるように目を伏せた。

「多くは望まないことにしてるの」
「ふうん」
「少しでも近づけただけで満足」
「それ以上は?」
「……怖いから、やだ」


裏切られることと、距離を失くすことの怖さは知っているはずなのに。