×長編 | ナノ
「あれ、珍しい!」
受付で今にも眠りそうだったじゅりさんが驚いたような声を上げたことで私は記入していたカルテから顔を上げた。そこには到底病人とは思えないような雄飛さんの姿。手持ち無沙汰に煙草を持っていない手を口元に宛てながら、私を軽く睨んでいた。その手には開きっ放しの携帯。あれ、意外に反応が早いな。なんて、ちょっと驚いた。
「ありゃ、どーいう意味だよ」
院内が禁煙でイライラしているのか、若干声を荒げながら彼は廊下を私と共に歩いていた。いつもいるはずのマリアベルさんがいない。それこそ私からすれば区長の彼がここを訪れるよりも珍しいと思うことだった。
「マリアベルさん」 「は、買出しだ。たまたまここ近くに居たときにお前さんからメールが届いてな。用事が終わったらこっち来るよう言っといた」 「あ、そうですか」
見透かされた、というかもう基本的なパターンを熟知している彼は私の質問にスラスラと答えた。カルテを書き終わった後、少し休憩していいよとじゅりさんに言われた私はこうして、今、雄飛さんの隣を歩いている。
「にしても」 「はい?」 「お前さんの働いてっとこ初めて見たが」 「頑張ってるでしょう?」 「何でナース服じゃねえんだ?」 「エ、ロ、オ、ヤ、ジ!」
一字一句強調した私の言葉に彼は笑った。今日初めの笑みだ。とか考えて心底安堵してる私、相当重症かもしれない。
「ま、いーや。で?なんだよこのメール」
歩き始めたときには閉じていた携帯を彼は再び開いて画面を私の方へ向けた。そこにはつい一時間ほど前に私が送ったあの短いメール。あ、機種違うとこんな風に表示されるんだー、なんてズレた思考を一刀両断するみたいに彼は画面を覗き込んでいた私の頭を携帯で軽く叩いた。痛い。
「いったー」 「半妖はこんぐらい平気だろ。早く話せ」 「気になります?」 「じゃあ削除していいんだな。さく、じょ、と」 「わー、送った人の前でメール消すとか惨い!」 「ジョーダンだよジョーダン」
冗談に聞こえないよ。なんて、本気で凹みそうになった私の前を歩く彼が一歩先に院内を出る扉に手を掛けた。続けて私も病院の外に出る。まだ太陽は南の空で夕陽には程遠かった。青いそれを見つめながら私は切り出すのがちょっと怖いけど、と思いつつ口を開く。待ってましたと言わんばかりに彼が煙草に火を点す音が聞こえた。
「雄飛さんの、」 「俺の?」 「いや、今の取り消しで。私、勝手に運命だって決め付けちゃっていいですか」 「目的語を示せ目的語を。意味分かんねーだろ」 「……雄飛さんが四年前のあの日、私を助けてくれたこと」 「……ありゃ偶然だっつってんだろ」 「それでも私は雄飛さんに助けてもらいました」 「俺は何もしてねーよ」 「いいえー」
そこらへんは八重さんともお話済みなんです。とは言わなかったけど、私は自分でも珍しいなって思うほど心に余裕を持っていた。余裕っていうか、安穏?っていうのかな。
「だから」 「あ?」
彼の吐く煙が、白く空に立ち昇っては消える。あの日も彼はこうして煙草を咥えて、その口元は余裕を示していた。俺様、なんて思ってたのに、いつの間にか私は彼を想ってた。その仕草を、ずっと見ていたいって思うようになっていた。
まあ、それを伝えるつもりはないけど。
「雄飛さんが守りたいって思ってるこの町を私も守ります」 「……」 「雄飛さんへの恩返し。それが私の生きる意味です」 「はっ、随分偏った生き方だな」 「誰にどう言われても変えるつもりないです」 「……」 「まあ雄飛さんだけじゃなくて他のお世話になった人にも恩返ししたいんで、そういう意味もあるんです。だから偏った生き方なんかじゃない」
一人で生きるなんて無理だってことを私は彼から教えてもらった。きっと四年前のあの日に一人だったら今頃ここに私はいないだろう。ここに今いること。生きていること。それは境目になったあの日に私を救ってくれた紛れもない、目の前の神様のお陰だから。
「重っ苦しいこと言ってすみません」 「あ?いや。いいんじゃねーの」 「はい?」
何か、考え事をしながら煙草を吹かしていた彼が、そっと呟く。その続きを待ちながら私は燃えていくフィルターの側面をただじっと見つめていた。
「一人の女の想いを背負えねぇ程、俺も子供じゃねえからな」
その口から放たれた言葉はあまりにも真っ直ぐでとても綺麗。澄んだ灰色の瞳に今映ってるのは私だけ。それが、そんな些細なことがとてつもなく嬉しかった。釣りあがった笑みが、ますます鋭くなる。果てには「一種の告白かと思ったぜ」なんて冗談にも取れないようなこと、言ってくるものだから本当叶わない。 叶わないけど、でも。 やっぱりいつも特別じゃなくていいから、これからも側にいたい。
「化ける奴は化けるもんだな、」 「はい?」 「変わったな、名前」
あなたが私の名前を呼んでくれる可能性がある限り。
雄飛さんの色はキラキラ眩しくてちっぽけな私はその光に目が眩んでしまいそうだ。 でもその強くて暖かな色彩は、「やっぱり彼をずっと好きでいたい」。そう、思わせる。
~20090120 end
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