×長編 | ナノ



一つ、そう言って雄飛と名乗った男は車のシートに凭れたまま私に指を差し出して見せた。

「『堕ちる』ってのは、天災みてーなもんだ」
「堕ちる……」
「自然の営みってのがあるだろ?雷とか台風だとか、あれと同じだよ。突如空から被害をもたらす」
「……」
「それを、堕ちると呼ぶ」

カチッ。ターボ式のライターで煙草のフィルターを燃やしながら、雄飛さんは続けた。

「んで、お前さんはその被害者って訳だ」
「……」
「普通は死ぬか妖怪に化けちまうんだぜ?運が良かったな」
「それでも私の体は……」
「ああ。もう人間じゃねえよ」

実感してる。あんなに痛いと思っていた頭とか体とかが、この数十分のうちにみるみるうちに回復して行ってるんだから、実感せざるを得なかった。人間じゃ、こんなことあり得ない。顔に緊張を張り詰めていたのか雄飛さんがそう堅くなんなと言ってくれたけれど、どうも無理そうだ。その間にも雄飛さんは私に見せていた指を、二本に増やした。二つ、敏感になった鼻が煙草の匂いを嗅ぎ分けていたせいで、眉間に皺が寄ってしまうのを我慢しながら耳を傾ける。

「んで、そういう妖怪だとかは、通常ならこの世界にはいねえもん」
「存在しちゃいけないってことですか」
「早まんなよ」
「で、も」
「あー、いーから俺の話を聞け」

俺様な態度を取りながら、彼は矢継ぎ早にスケールの大きな話を展開させた。この世とあの世の話、七郷と呼ばれる桜の話、その七郷がある桜新町という町の話、どれをとっても頭のパンクしそうな情報量を持つその話を聞いた後、私は暫くの間声を出すことが出来ずにいた。そんな私と雄飛さん、マリアベルさんを乗せた車はどこかへ向かっているのか躊躇なく前へ進んでいる。現れては消える外の景色をぼんやり見つめながら、私は漸く口を開いた。

「どうして、助けてくれたんですか?」
「あ?」
「堕ちた人間である私を、どうして助けてくれたんですか」
「たまたま通りかかったから」
「……え」
「そういう『運』だったんじゃねーの、お前さんは」

もし通り掛っていなかったら、わざわざこの俺が助けるなんてことはしねーよ。ぶっきら棒というか、冷たいと思わせるその言い方。まあ結果オーライだろ、と愉快そうに笑うその言い方。全部全部忘れないようにと、心に記憶させていた。

「私はどう生きればいいんですか」
「はあ?」
「たくさん、知ってる人が死んでました。生まれたあの場所で、大切にしたいと望んでいた人が血を流して死んでました。あれは。あれは、私がやったんですか……?」

心臓の辺りが、ぎゅっと鷲掴みされたみたいに痛かった。路地を歩いて雄飛さんが呼んでくれた車に乗り込むまでの距離に目にした光景。その誰もが呼吸を忘れ、生きることを止め、横たわる姿をしていて。……その光景を思い出した瞬間今まで抑えこんでいた吐き気みたいなものが込み上げてきた。私は口元を押さえて、必死にそれを我慢する。

「で、お前さんはどんな正解が欲しいんだ?」
「……っ」
「生きる意味がない。じゃあ死にたかったのかよ」
「ちがっ、違います!」
「じゃあなんだ。お前さんは誰かにこうして生きなさいって言われねえと人生送れねぇのか」
「……私は、」
「甘えんな」

そんなホイホイ正解が出る人生面白くもなんともねーだろ。灰皿に余分なものを落としながら、マリアベルさんから受け取った何らかの書類を見ている雄飛さんに私は何も言い返すことが出来なかった。

「生きる意味がないってんなら、がむしゃらに探せよ。正解なんざ自分が決めることだろ」
「……がむしゃ、ら」
「人に容易く頼んな」
「……」
「とまあ、人ならそう言うんじゃね?」
「はい?」
「生憎俺は、人に非ず、妖怪に在らず、だからな」

ニッと意地の悪い笑みを浮かべた雄飛さんは自らを神と称した。初めは意味が分からなかったけれど、それからまた土地神様とか、そういう類の話をされて私の頭はますますパンクを起こしかけていた。リミットいっぱい。もう、無理。無理、と溜息を付きそうになった時だ。車がゆっくりとその力をなくし、やがて止まる。着いたか、と呟く雄飛さんの言葉と同時に私は窓の外を見やった。

「う、わ……」

そこから見えた巨大な柱のようなものに私は呆気に取られた様な声を上げた。クックッと笑う雄飛さんを余所に私は開いた口が塞がらぬ状態のまま車を降りる。夜の町に、巨大な柱。これがあの七郷というものなのだろうか。見上げるその絶大な存在感に目を奪われている内に雄飛さんがマリアベルさんと共に誰かと合流したような音が聞こえた。この聴力、意外に便利……かも。数十メートルは離れているというのにここからでも会話が聞こえる。若そうな女の子と雄飛さんの会話。「後は任せたぜ」なんて言ってるけど何のことだろう。そう思った瞬間に私は雄飛さんに呼ばれたため見上げていた七郷に背を向けて、そちらへと足を向けた。

そこにいたのは、同い年くらいの女の子。セーラー服に身を包み、何に使うか分からない棒みたいなものを携えていた。その女の子は私を見るなり雄飛さんの方へ顔を向けて、この子ですか?と尋ねている。

「おう。急で悪ぃけどな」
「いえ。別に良いですけどね」
「そういうこった。じゃ、俺ら帰るわ」
「え、え?」
「話したろ、桜新町。ここの町長だよ。悪い様にはしねぇから安心しな」
「……雄飛さんは」
「お?なんだ寂しいのか?」

ただ、どこ行くんですかと尋ねようとしただけなのに!言い返す言葉も虚しく快活に笑った彼は「俺は忙しいんでね」と返してきた。私よりも若干低い身長なのに、どこか大きな存在感を持つ雄飛さんはやがて少しだけ背伸びして私の頭を撫でてくれた。

「さっきの続きだけどな」
「は、い?」
「ま、後どう生きるかはお前さん次第だよ」
「……私次第」
「死ぬか生きるかの選択を選んだのもお前、これから先どう生きるかも選ぶのはお前さん自身だ。俺がどうこう言う話じゃねえ」
「……はい」
「まずはその辛気臭ぇ面直せ。そんで」

マリアベルさんを引き連れて、私と女の子に背を向けながら彼は歩き出す。後ろ手で挨拶を済ますその姿を見つめる私に雄飛さんは言葉を続けた。

「とりあえず後悔だけはしねえよう気をつけるこった。じゃあな、名前」

そう思うと、後にも先にも、彼に名前を呼ばれたのはあれっきりかもしれない。

その後ヒメちゃんに連れられ、私は比泉生活相談所に初めて足を踏み入れることとなる。そこで今後の話、つまり学校へ通うことと、じゅりさんの元で手伝いをすることを約束にこの町で生きることを許された。



(七郷の柱に登ったのは、その次の日のことだ)