×長編 | ナノ




 グラウンドの舞台で力投する彼の姿を初めて見たときはまるで樹木のような人だと思った。大空へ羽ばたくことも出来ずに、ただ地に根を張って。それでも必死に伸びようと、努力を積み重ねる。成長する。握り締めたメガホンで声援を送ることも忘れたように、わたしはマウンドで奮闘する男を見つめているだけだった。



 野球部のこの間の試合、すごかったね。教室ではそんな話題が繰り広げられていた。そこから若干離れた席で折角の休み時間だ、さあ寝ようと思っていたわたしの意識が不意にそちらへと向いてしまう。御幸君が、とか結城先輩が、とか女子特有の視点から見た野球の話ではあったけれど。ふうん、と誰に言うわけでもなく頬杖をついた。
 ところで前方の席に座る話題にも挙がった御幸はどこだろうと何気なく探したが見当たらない。別にいたところでどうもしないけど。いいや、次の時間は最難関の数学なんだ、今のうちに活力を蓄えねば、と机に顔を伏せた、まさにその時だった。

「何て言ってもあのピッチャー、すごかったよね」

 またも意識がそちらへ持ってかれる。今度は特にびっくりもしなかった。あのピッチャーに関しては何も知らないから。知りたい。自分の望みに忠実なのはわたしの長所だとどうでもいいことを考えながら、耳は話を盗み聞きしていた。あのピッチャーは一年で北海道から来たらしい。名前はふるや。どんな漢字だろう。話に混ざるのも何となくめんどくさくなったので前の席の奴にでも聞いてみよう。そう思った矢先、ナイスタイミングで御幸が席に戻ってきた。時計を見ればあと二、三分で地獄の数学が始まってしまう。どうやら、寝れなそうだ。

「御幸、御幸」
「なんだよ」
「ふるやってどんな奴?」
「はあ?」

 虚を衝かれたようにあんぐり口を開けたまま御幸が、わたしの方を振り向いた。数学の教科書を手に。それを見て、あれっと思った。
 わたし数学の教科書どこにやったっけ。