×長編 | ナノ



携帯のメモリーを開いた。着信も受信も一切したことない相手のデータを決定ボタンで選択する。画面上に浮かぶ「1.メール作成/2.発信」。その文字を見つめながら私はやがてそのどちらを選ぶでもなく、終話ボタンをそっと、出来るだけ優しく押した。

「おーい、名前。秋ちんの診察終わったから帰るよー」

肩をぐるぐる回しながら軽いー!なんて叫んでる秋名くんの後ろ、じゅりさんが鞄を肩に掛けながら私にそう話し掛けた。携帯を持つ手が、少し動揺を象る。

「あ、ごめんごめん。誰かに何か連絡しようとしてた?」
「え。いえ、大丈夫です」

心配を掛けないように、さっきじゅりさんから指摘された癖を意識して私は上手に嘘を付く。心はいっつも連絡したがってる。

報われない相手。

「なぁ、名前」

ここ一番の盛大な溜息を付きながらじゅりさんと同じように鞄を持った私に秋名くんから声が掛かった。なぁに、顔を向けることなく早口にそう呟く。そういえばヒメちゃんはどこ行ったんだろう。横目で見たソファに恭助さんがいないことから、推測する。何かあったのかな。

「……無茶すんなよ」
「は、?」
「溜息」
「……あ、バレた?」
「バレるっつの。何かあったらいつでも相談来いよ」

ここは生活相談所なんだからさ。所長らしいその言葉。私はただ笑うことしか、出来ずにいる。丁度その時、私は外から誰かの足音を察知した。さく、さく。きっとこの場にいる人は私以外、気付いていないだろうな。そう思ったと同時に事務所の扉が開かれる。買い物か何かで両手に袋を持ったアオちゃんが入って来るなり私達の顔を見ながら声を上げた。

「じゅりさんと名前さん!」
「やっほーアオちん」
「もう、秋名さん!何やってるんですかお茶も出さないで〜……」

仕方ないなと小さく息を付いたアオちゃんはすぐさま給湯器の付近へ歩み寄っていった。それをじゅりさんが快活に止める。いいよう、もう診察終わったから帰るし。なんて、言葉を聞きながら私はぼんやり考え事をしていた。

携帯を手持ち無沙汰にまた、開く。電話帳を起動させて「さ」行のページまで移動する。さ、し、……士夏彦、雄飛。

「名前、大丈夫?」

ハッと我に帰った私は慌てて見られてる訳でもないのに携帯を閉じて、心配そうなじゅりさんの方を向いた。大丈夫なんて言葉、軽々しく出てしまうもんだから人間は狡い。私、は。狡い。

「じゃああたしら帰るね。ばいばいアオちんに秋ちん」
「はい、お疲れ様でーす」
「お邪魔しました」

一礼した後、手を振る秋名くんとアオちゃんに背を向けて私達は歩き出した。行きに話していた買出しを済ませた後で病院までの帰り道。とぼとぼと町を歩く。

町に日の暮れる色が降り注ぐ。眩しいな。朝の太陽の光も夜の月の光も眩しいと思うことはあるけど、今視界に入り込むこの日差しが私は一番眩しくて一番、寂しいものだと感じる。それは、私だけかもしれない。結局今日だって自分の想い人に連絡しようとする勇気は出なかった。溜息が無意識に零れようとしたその時。一着のメールを受信した。

「あ。ヒメちゃんだ」
「ヒメちん?何て?」
「え、と」

促されるままに私は携帯を操作して、メール画面を開く。目に入り込んできた文字の羅列に思わず笑ってしまった。


from:ヒメちゃん
title:秋名から聞いた
-------------------
いつでも町長の私に相談してよね。ラーメン一杯で乗るから!


「町長さんにまで心配掛けちゃってるみたいです」
「あらあら」
「ラーメン一杯で相談に乗るよって」
「ヒメちんらしいなぁ」
「本当……」

『こんなとこで死にたかねぇだろ?』

私は、契約通りに生きてる。その過程で誰に心配を掛けようが構わないって前は思ってた。

『生きる意味がないってんなら、人のために生きればいいんじゃねーの』

けど最近は違う。ここに。この町に、私は大切なものをたくさん作ってしまったような気がする。罪悪感とか、申し訳なさとか色んな今まで不必要だと思って来た感情がここで芽生えた。不必要だと思って来た感情のその1、友情。その2、優しさ。筆頭にあるものは、何かを欲しがる心。

「皆に心配掛けるなんて医者の卵としてまだまだですね」
「……いいんじゃない」
「え?」

前を歩くじゅりさんが、一瞬間を空けた後に、そう呟いた。夕陽に目を細めていた私はじゅりさんの方に目を向ける。強い人はみんな、眩しい。じゃあ私は、どうなんだろう。そう思ってしまうほど、じゅりさんはきらきらと輝いているようだった。まるで遠い存在の星みたい。

「まだまだ名前だって大人じゃないんだからさ」
「……どうせ子供です」
「そうそう。だからもうちょっと周りに甘えてもいいんじゃないの?」
「……」
「名前と皆の間に、名前が思ってるほど距離はないよ」

『ま、後どう生きるかはお前さん次第だよ』

ヒメちゃんからのメールを開きっ放しにしていた携帯の画面が、静かに光りだす。メールの受信を知らせるその音楽が辺りに鳴り響いても私はそれを止められずにいた。

『とりあえず後悔だけはしねえよう気をつけるこった』

『メール着信:士夏彦 雄飛』

それよりも理由の分からない涙を止めることで、精一杯。



(本当は、寂しい)