×長編 | ナノ
「おにーさん」 「呼ぶな。俺はお前の兄貴じゃねぇ」
傍らにマリアベルさんはいなかった。珍しいこともあるもんだ。デスクに置かれたコーヒーがまだ暖かいってことはさっきまでいたのかな。雄飛さんが自分で淹れるなんてあり得ないし。煙草の煙が鼻をくすぐっては、反射的な涙を我慢する。立ちっぱなしのそんな私を一瞥した後彼は無邪気な笑みを浮かべた。
「ずっとそうしてるつもりか?」 「マリアベルさん、は」 「書類を取りに行かせた」 「八重さんは?」 「知るか」 「ですよねぇ」 「何なんだお前さっきから」
そういえば彼は、私の名前をあまり呼んでくれない。こんなところにも距離感を実感させる材料があるなんて。ジュ、と小さな音が鳴って煙草が灰皿に押し付けられる。面倒そうに頭を掻いてはペンを走らせる雄飛さんの姿は珍しく、土地神様らしい真面目そのものだった。目を、見開く。雄飛さんの背後の窓から差し込むオレンジ色の光が、あまりにも彼を綺麗に彩っていたから。
ユウヒとユウヒ。同じ名前同士、やっぱり相性がいいんだな。暗い闇や反対に爽やかな朝は彼には似合わない気がする。このオレンジ色の暖かな、彩り。それこそ相応しい。
それを象徴するみたいに雄飛さんはいつも余裕を忘れることはない。きっと私が彼に無謀な感情を伝えたとしても、だ。
「オイ、ボーっと突っ立ってるだけなら手伝え」 「……子供の私に手伝えることなんて、あるんですか」 「バカか」
だから言わない。これからも言わない。 必要ない。それなのに。
「相手にされねぇからっていじけんなよ。座れ」
彼はすべて見通したかのようにいつも私を掻き乱す。ずるいです。力なく呟いた私の発言にまた、彼が余裕顔を見せる。一つ取り出した煙草がまた煙を上げながら燃えていく様を見て、私は静かにデスクに隣接されたソファに腰を下ろそうとした。すぐさま舌打ちが聞こえる。なんですかと尋ねる前に理解した。あぁ、動くのが面倒なんですね。差し出された書類と雄飛さんの手とを見比べながら私は結局座ることなく立ち尽くしたまま、ほんの僅かに顔をしかめた。
「手伝ってあげるっていう人に対して失礼ですよ」 「煩ぇ。お前が来いよ」 「え」 「書、類、を、取りに来い」 「……」 「期待してたか?」 「誰が」 「あーいいからさっさと手伝え。明日までにこれを仕上げなきゃなんねぇんだよ」 「……ため込む方が悪い」
ずっと年上の人に対する暴言らしきそれにも雄飛さんは怒った表情を見せることなく愉快そうに笑った。「違いない」なんて自分の非を認めてもやっぱり横暴さは変わらない。小さく付いた溜息を雄飛さんに聞かれていないか不安になりながら、私はデスクに近付いて書類を彼から受け取る。簡単な、整理作業だった。あいうえお順に並べていくそれを手際良く行いながら、私はそっと雄飛さんに視線を向ける。
ユウヒが、眩しい。
「んな見つめんな」 「……困りますか」 「大人からかうな」 「大人っていうか神様じゃないですか」 「そう思うなら尚更だろ」 「確かに」 「勉強の方はどうだ」 「……じゅりさんが優しいんで、お陰様で」 「そーか」 「秋名くんにも言われてますし」 「まぁ精々あいつらサポートしてやれよ。妖怪医のヒヨッコ」
ぶっきらぼうな言い方。でも知ってる。ちゃんと雄飛さんは雄飛さんなりにヒメちゃんとか秋名くんとか、桜新町のみんなのことを考えてるって。間接的過ぎて伝わりにくいけどでも。言葉の端っこの方に滲み出てる優しさ。くすぐったい気持ちが溢れて、私はここに来て今日初めて自然に笑みを零した。
「頑張ります」
(いつも暖かいくせに、ふと気付けば冷たい)
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