×長編 | ナノ


携帯でだって済ませられる話だったかもしれない。けど、私は迷わなかった。土曜日の昼前。しっかりと冬の気候に対策を施した格好をして、紙袋と鞄を一つずつ手に持って私は自分のアパートを出た。紙袋の中で布に包まれた二つの箱が揺れている。一つは小さく、もう一つはそれの三倍くらいの大きさのあるものだ。茶色のフリンジブーツを履いた後で、一度振り返って自分の室内に通じる廊下を見渡す。もう二度と彼がここに訪れないかもしれないなんて想定はもう、止めにしようと思った。

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一度駅を経由してバスに乗り込んだ。土曜の午前中だからそれほど乗り込む人もいなくて、揺れ動くバスの車内にはニ、三人の人しか乗車していなかった。『次は、青道高校前』そんなアナウンスに、私は次降ります、と運転手にアピールするためのボタンを軽く押した。ドキドキする心臓を隠すようにあくまでフランクに。自分の気持ちを素直に伝えること。

それはある意味、告白みたいな緊張だった。

バスのステップを一段、二段と降りて、地上に足を付ける。12月13日、午後12時05分。手元の腕時計を覗き込んで日付と時刻を刻むそれを確認した私はゆっくりと歩き出す。すぐそこまで迫っている野球部用のグラウンドに、まるで戦場に向かう兵士みたいな気持ちで足を向けた。実際兵士の気持ちは私には理解し得ないものかもしれないけど、とにかくそれくらいに私は緊張していた。モッズコートのポケットから伸びてきているアイポッドのイヤホンを耳に掛ける。多分部活をしていたとしてもそろそろ昼食の時間になるだろうという自分の中の計算を再確認して、私はグラウンドに通じるフェンスへと近付いた。

耳に直接入り込むハンス・ヴェルナー・ヘンツェの『若い恋人たちへのエレジー』。哀歌だとか悲歌だとか、今の心情をさらに落ち込ませるような要素を持ち合わせているエレジーを私は選んだのには理由があった。思索するにおいて、落ち着きを持って出来る旋律をこの曲は奏でているからだ。悲しいだけじゃない。幻想的なんだ。

「あ……」

覗き込んだフェンスの奥の奥。ブルペンと呼ばれる場所にいる存在に私は独り言のような、声を上げた。この辺にはどうやら取材と思わしき記者の人が数人いるだけで、夏に一度訪れたときのような賑わいはなく閑散としていた。冬っていう季節がそれを助長しているみたいに一際強い風が吹く。ああ、耳あてとかニットの帽子してくれば良かったなぁ、寒いなぁ。イヤホンを冷え切った耳から外しながら、そんな間抜けた感情を持つ。と、とある人物と私の視線が交錯した。驚いたように彼がこちらに歩み寄って来るのが見える。いや、ちょっと待った。彼は注目選手として雑誌に取り上げられていたはずだ。こんな少なくたって記者のいる場所に来るのはまずくないかって、そんな心配をよそに幼馴染が私の名をフェンス越しに呼んだ。別の意味であるけれど、緊張はあった。

「珍しいな」
「てっ……ゆ、結城くん。練習戻りなよ、練習」
「丁度そろそろ休憩に入るから大丈夫だけどな」
「あ、そうなの」
「……降谷か?」
「バレバレですかね」
「ああ。まあな。顔に」
「え?」
「顔に出ている」

嘘!咄嗟にそう返した私に可笑しそうな哲の笑みが説得力ないとでも言うかのように、迎えた。ちょっと待っていろ、と静かに呟いた哲にまさか。冷汗が垂れる。

「べ、別に呼び出さなくていいよ!」
「そうか?」
「う、うん……。それより休憩ってどれくらい?」

私の言葉に彼は毅然とした態度を崩さずにベンチ方面にある時計に目をやった。現時刻十二時十五分。それを確認した彼はすぐに私へと向き直りそうだな、と考えるように顎に手を添えた。時間帯によっては出直さなければいけないかもしれない。休憩が短かったら、の話だけれど。ギュッと握り締めた紙袋、それに視線を落としながら彼の答えを待った。

「……それほど遅くならなければ」
「え?」
「俺から御幸や監督に話しておこう」
「……迷惑掛けちゃうのでそれは」
「構わない。元々手の掛かる幼馴染だしな」
「年上ー。私年上ー」
「貫禄もない」
「うるさい!ばか」

漫才で言うツッコミを直には触れられないので、フェンスを標的に軽く叩く。笑った哲に内心感謝の言葉を抱きつつも、何かと気に障ること言ってくるのでそれを表現しようという気持ちはなかった。そのバカにした言い方、御幸くんっぽいよ。悔し紛れとも取れる言葉。そう返して私は彼のいる場所を離れた。

ブルペンまでは結構遠い。なるべく近づこうと私はフェンス越しに歩いた。少し離れた場所で監督らしき男の人の声が上がった。よく聞き取れなかったけど、『休憩』っていう単語が聞こえた様な気がする。それに釣られるように私は歩くスピードを少しだけ上げた。ブルペンを出る彼と、入れ違いならないように。それだけを祈って。と、フェンスの内側と外側をつなぐ扉みたいなところが開け放たれているのが見えた。グラウンドに目をやると、ブルペンから一番近そうな場所だったので、きっと彼はここから出入りしているのだろう。そんな目測を立てる。丁度良いタイミングだったようで、野球部の練習用のユニフォームを着た男の子達が何人か出て行く現場に遭遇した。彼の姿は、まだない。それとももう、通り過ぎた後なのだろうか。出て行った男の子の何人かが私服である私に訝しげな視線を向けていた。けれど私の目線はそんなのお構いなしにフェンスの内側、ブルペンへと注がれていた。また、紙袋の手綱を握り締めていた。それほどに私は緊張してるみたいだ。

「名前さん……?」
「っひゃ、」

よそ、予想外デース。じゃなくて!某CMを彷彿とさせるような言葉を浮かべた自分の心を叱咤すると同時に跳ね上がった心臓を衣服の上から手で押さえた。背後でした声に私はブルペンに向けていた目を、ゆっくり、そちらへと移す。何で、何でこっちから声がするの。おかしくない?動揺は明らかに私を支配していた。

「さ、さと」
「……?何どもって」
「暁くん!今暇ですか!」
「は?」

先手必勝。切り出される前に切り出せ。どうでもいいフレーズを元に私は早口に捲くし立てる。暇だから、講義がないから来てみた。許可もなくごめんね。そういえば少しだけ彼は悲しそうに、瞳を伏せた。そこで私はまた自分自身に幻滅する。ああ、また。また、お決まりのフレーズを言ってしまった。ごめんねって。もういいよって言われそうだ。けれど彼は一度伏せた瞳を元に戻すと、ちょっと待ってて、と私の横を通り過ぎてブルペンへ行ってしまった。何だろう。少し話しただけなのにこの緊張。

「大丈夫だよ」

私、の心とかその他諸々。これから自分の気持ちを話すという重要なことをしなければいけないのに。
大丈夫だろうか。