×長編 | ナノ
御幸一也を呼び出した昼間が一瞬のように過ぎて、俺は授業の終わりを告げるチャイムと同時に席を立った。 目指すは、苗字のクラス。 そこまでの道のりはまるで戦場に行く兵士みたいだった。
だって、俺の想いはここで終わるんだもんな。
内心は悲しみでいっぱいだ。 『あんな奴止めて俺にしとけ』って格好の付く台詞の一つでも言えたらまだ良いのにな。 言えたのは結局、『待ってる』って言う望みのない本音だけ。 それでも進歩したのだろうか、歩んでいた足が苗字のクラスに着くと同時に大きく息を吐いた。
笑ってる君が一番好きなんだよ。 そしてそれを引き出せるのは俺じゃない。 それが、現実。
「前川君……?」 「あ、」
教室の扉付近で俺に声を掛けたのは苗字の友達だった。 直ぐに俺の目的に気付いたのか、廊下側に向けていた顔を逆戻りさせて少し大きめな声で名前!と呼んでくれた。 助かった。 正直、御幸一也と顔は合わせづらかったし。
「……一樹君」 「ちょっと時間、良い?」
一度困ったように俺を見たものの、きっと今自分の顔がいつもは見ないくらい真剣だったためか、苗字は小さく頷いてちょっと待ってて、と自分の席にあった鞄を持ちに俺に背を向けた。
その背中に、また確信する。 やっぱり、好きなんだよなぁ。
けど明らかに違うって気付いたのはいつだったか。 俺がどんなに苗字を笑わせようとしても、好きになったあの笑顔は見れなかった。 ベタなのかもしんないけど、御幸一也を想う苗字の笑顔に俺は恋したんだと思う。
なんて柄にもなくクサい台詞、言える訳がない。 さて、何から話せば良いんだろう。 頭の中で段取りを組み始めたのと同時に苗字がお待たせ、と再び戻ってきた。 ホント柄にもねぇや。 緊張してる。
「諦めることにしたんだ」 「え、?」
一瞬何のことか分からないって顔した苗字に俺は苦笑する。 諦めるって言ったら一つしかないと思うんだけど。 そんなこと考える暇もなく苗字の頭の中は御幸一也でいっぱいなんだろうか。 名前が一文字違いなのに偉い差だよなぁ、自傷的な考えに浸りながらも補足する。
「苗字のこと。諦めることにしたんだ」 「ど、どうかしたの……?」 「俺さ、逃げ場にはされたくねぇの」 「……?」 「すっぱり御幸一也のこと忘れられるんなら良いんだけど、無理だろ?」 「そんなこと、」
ないよって言い切れないからだよ。 言い切ってくれたらせめて、最後の足掻きになったかもしんない。 けど無理なんだよ。 御幸一也の名前出しただけでそんな顔するんだもん。 気付いてねぇのかな、自分で。
「逃げんなよ」 「……一樹君」 「もしかしたら望みあるかもしんねぇじゃん」 「ないよ」 「そういうのは言い切らなくて良いから」
困ったように笑いながら、苗字を見下ろす。 幾分か身長の低い彼女の顔をこんなに間近で見るのももしかしたら見納めになるかもしれない。
そう思うと少し、感傷的になった。 泣きたくは、ねぇ。
「少なくとも顔見たら一発」 「何が?」 「まだ好きなんだろ?御幸一也のこと」 「……それは」 「御幸一也も御幸一也だよ、素直じゃねぇの」 「どういうこと?」
せめても可逆心。 精一杯意地悪そうな笑顔作ったけど引きつってはいねぇかな。 それだけが心配だった。
「意味が分かりたかったら、御幸一也に聞きな」
つまり、苗字と御幸一也については心配してない。
「そういうことで、今までありがとな。……楽しかった。苗字は、違ったかもしんねぇけど」 「そんなことないよ!」 「……」 「ごめん、一樹君。わたし、……御幸が、好き」 「現実突き付けるとか酷ぇ女」 「ごめん……っけど!一樹君と友達になれて、色々気遣ってくれて」 「……」 「待ってるって言ってくれたの、すごい救われた、から」
あー。 泣きそう。
すぐそこまで涙腺が緩んでて、そこは男の意地で何とか食い止めていた。 本当に、何でそういうのは言い切れるのに、肝心な所は臆病なんだか。 うっすら出そうになった涙を鼻を啜ることでごまして、俺は苗字に背を向けた。 これ以上は、ダメだ。
「ありがとう、一樹君」
背中に掛かった声。 微かに掠れていたけどそれはもう、あいつにフォロー任すわ。 もう我慢しなくて良いかな。
ありがとう。
反復する苗字の言葉に、もう振り向かずに軽く手を挙げるだけにして俺はその場を去った。 風が目に染みる。
ありがとう。 それはこっちの台詞だよ。 ありがとう。 ばいばい、苗字。
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