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携帯が静かに震えた。
紫色にLEDが光ることでメールに気付いた私は雑誌を捲っていた手を携帯へと伸ばした。
ボタンを押して、新着メール画面を開く。


from:苗字 名前
sub:(no title)
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いま電話しても平気?


何を遠慮しているんだこの子は。
一人笑って、私はメールの返事を打つことなく一度電源ボタンを押した。
そして、そのまま発信履歴を開くと三番目まで下ボタンを押してから、静かにコール。
三回同じ音を聞いたかと思うとガチャって、何かが破けたような音がした。

『もしもし……』

スピーカーから聞こえる遠慮がちな名前の声に相反するように、私はやっほーと楽天的な声で返した。
私まで釣られて落ち込んだような声出したら、駄目。
そんな感情を読み取ったのか、私に感化されたのか、先ほどの声より幾分か調子の上がった名前の声が返ってきた。

『……ごめんね』

かと思えばすぐこれだ。

「何謝ってるのか全く分かんないんだけど」
『ごめ』
「だーかーら!理由なしに謝らない!」
『はいっ』
「いい返事だよろしい。……で、どうしたの?」

出来るだけ、優しく、子供をあやすお母さんの気持ちになって、尋ねた。
電話口の名前はそれでも何かを躊躇っているのか、無言が続く。
これは切り出すまで時間掛かるかも、なんて予想とは反して何かを決心したような名前が、静かに話をし始めた。

『前に進もうと思う』
「え、……何か、あった?」
『マミ、鋭い』
「だって、前に進むって……御幸のこと諦めるってことでしょ?」
『……うん』
「……それで良いの?」

う、ん。
言葉に詰まりながらも肯定した言葉。
無意識に唇を噛み締めた私は、名前の言葉を、うまく解釈出来ずにいた。
名前とあいつは、そうやって、終ってしまうのだろうか。
なんだか呆気なさ過ぎて、放心しそうになった。
けれどマミ、と名前の私を呼ぶ声で現実に引き戻される。

「本当に?後悔しない?」

当事者は私ではないはずなのに、自分のことのようだった。
食い下がるのは私の役目じゃない。
名前が決めたことなら構わない。
そう言える程、私は寛大な大人ではなかった。

『しないよ、多分』
「多分って……」
『しても、無理だし』
「どういうこと?」
『……御幸はもう、前に進んでるみたい』

そんな馬鹿な。
倉持から聞いた話じゃ、まだ吹っ切れてないって、踏ん切りついてないって、言ってたのに。
けど神妙な口調の名前の言葉からするとあながち嘘でもない気がする。
すぐに思い立って、前川君と付き合うことにしたの?と尋ねてみる。
そこまで行ってしまったら、もう後戻りは出来ないから微かな願いも含めて、だ。

『ええ?ううん、まだ付き合ってないよ』
「そっか……」
『でもあいつのこと忘れられるまで待ってるって言ってくれたから』

真剣に考えてみようと思う。

そう続けた名前の言葉に大きく息を吐いた。
見つめていた野球雑誌にはまたしても注目選手の一人として取り上げられている御幸の写真と短いインタビュー。


Q、彼女はいる?
A、(苦笑)……いねーっスよ。


胸が締め付けられるような感覚に陥る。

あんたが名前のことを思って別れを切り出したってこと、納得しようと思えばできるよ。
……けどあんた、結局は名前のこと好きなんでしょ?
本当にいいの、これで。

名前に別れを告げて、静かに押した電源ボタン。
その指先を見つめながら、私はまた、溜息を吐いた。



時間の問題だよ、御幸。