×長編 | ナノ




『良かったなー、お幸せに』

これで良いんだって自分に言い聞かせてるみてぇ。
溜息と一緒に、初夏の風がグラウンドに吹き込む。
そろそろブルペンに戻らねえとまずいかもなと思いつつも、振り返ったフェンスの先。
いつまでも帰ってこない名前を心配した表情で待つマミの姿があった。
俺から説明することでもねぇや。
再び、足を動かした。

「御幸君」
「お、礼ちゃん」
「さっきまでいなかったみたいだけどどこか行ってたの?」
「……んー、まぁそんなとこ。なんか用あった?」
「……」

眼鏡の奥の女らしい瞳を細めて、俺のこと怪しいって言いてーのかな。
けどそのまま礼ちゃんは眼鏡の縁を手で抑えながら、ゆっくりとした口調で話を切り出した。

「次の練習試合なんだけど」
「ああ、礼ちゃんがこないだ偵察行くっつって奴?」
「そう」
「それがどーしたの?」
「これから行くんだけど、もし良かったら貴方もどうかと思って」
「へえ?」

そんなに注目される高校だっけ?と校名を思い出そうとするけど、この先沢山組まれた練習試合の相手から思い出すのは面倒だな、と思って止めといた。
稲実とか少なくとも強豪って言われるところじゃなかったことだけは覚えてる。
そんなことを考えている俺の心中を察したのか、礼ちゃんがこれから偵察に行く高校の名前と一緒に、そこの今年の打線が例年よりも優れたものに成長しているということを説明してくれた。

「それもあるんだけど、何よりもそこの捕手が結構注目されている子なのよ」
「へー、そりゃ気になるな」
「貴方にも参考になる部分があると思って」
「監督は何て?」
「『いい経験になるだろうから、行って来い』らしいわ」
「はっはっは、俺の返事は関係ねーって感じだな」

んじゃ行くわ。
俺の回答にそれじゃあ校門で待ってるから、と返した礼ちゃんは俺に背を向けて歩き始めた。
制服に着替えんの面倒だな。
帽子のせいで潰れてしまった髪を掻きながら、俺は部室まで戻ろうとグラウンドに向けていた足の方向を変えた。
特に興味を持ったわけでもねーけど、良い気分転換になるかもしんねぇし、ま、いっか。

そう自分に言い聞かせながらも脳内でまだあいつの声が鳴り止まない事に微かな苛立ちを覚える。
さっきまでマミがいた場所をもう一度振り返るのは何となく気が引けたため、部室に戻って着替えた後はグラウンドを避けるように校門を目指した。



詭弁だと言われても構わない。
これで、良いんだよ。