×長編 | ナノ



伏せた瞳は、いつもの御幸らしさがないって感じさせるに十分なものだった。

「こないだは悪かったな」
「え、?」
「前みたいな関係に戻れたらって言うのは多分、俺の我侭だ。……押し付けちまって悪かったな」
「う、ううん、大丈夫」
「苗字さ、」

ずきり。
心臓が鷲掴みにされた気分だった。
聞きなれない御幸のわたしへの呼び方。

苗字って。

嫌だな。
なんか、すごい、嫌だ。
自分から拒絶したくせに調子が良いなとは思う。
だけど実際こんな風に苗字で呼ばれると、その他人行儀さいっぱいの違和感はどうしても拭いきれなかった。

「……何?」
「前川って奴と付き合ってんの?」

倉持に聞かれたときよりも、心臓が大きく鳴った。
御幸に聞こえただろうか。
それとなくちらりと見た御幸の顔は、たまにしか見せない真剣さそのもの。
わたしの答えを待っているのか、何も尋ねてこない彼の様子からどうやら聞こえていなかったようで安堵の息を吐いた。

どう、答えれば良いんだろう。

まさか前川君のことを聞かれるとは思いもしなかったので、わたしの頭の中は軽いパニックを起こしていた。
付き合ってるわけではない。
けど、なんとなく流れからそれを前提とした関係になっているのも確かだ。
あの告白の日から彼はよくわたしのクラスに顔を出したりしていた。
時にはマミも一緒ではあるけどお昼ご飯を共にしたり、友達としての時間はどんどん多くなっていて来ている。
わたし自身の気持ちの問題なんだろうけど、……もしかしたら、いつかは付き合うのかもしれない。

傍から見れば付き合ってる。
そう、見えてもおかしくない現状だった。

「何考えてんの?」
「……どう、」
「どう答えたらいいか分かんないってか」

見透かしたような彼の言葉に、素直に頷く。
ほんの最近まで付き合っていた男に新しい彼氏が出来たのかと尋ねられて返答に困らない女の子はそうそう多くないと思う。
前川君みたいな、そんな存在がいれば尚更だ。

「何悩んでんのか知らねーけど」
「え、別に悩んでな」
「付き合ってんだろ、要は」

どうして、そんな投げやりな言い方なの、と強く言いそうになった。
けれどこの間、教室で御幸と二人っきりになったときの自分の言葉が不意に脳裏に浮かび上がってそれを必死に止めた。

ああ、そうか。
組んでいた両手の力を強くする。
泣きそうになったのを、必死に我慢するためだ。

そう、だ。

「良かったなー、お幸せに」



優しくしないでって言ったのはわたしじゃないか。