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「名前〜」
「んー?」

「なんか知らない子がアンタのこと呼んでるよ」

たまたまだ。

多分倉持やマミに言ったら「そんなの言い訳だろ」と返されそうな自分の行動に可笑しさが込み上げてくる。

マミがあいつの名前を呼んで。
更に「知らない子」という単語に過剰反応をしてしまった俺は、教科書を探していた手を止めて、すぐに二つしかない教室の前の扉に視点を合せた。

見た事はあるものの、名前やクラスは思い浮かばない。

誰だよ、そいつ。
詰まらない感情が押し寄せてきそうだったが、すぐに冷静さを取り戻した。

関係、ねぇよな。

言い聞かす度に知らない奴と扉付近で喋っては笑う、名前の顔が脳裏にチラ付く。

そんな顔、久しぶりに見たな。

「お、御幸御幸」
「……んだよ」

自分の心内を誤魔化すように止めていた手を動かす。
英語の教科書、見当たらねぇ。
そんな俺に構いもなく興味津々といった声色で倉持があいつだよ、と続けた。
再び止まりそうになった手を、無理矢理動かす。

「前言ってたろ。名前を気に入ってる奴がいるってな。あいつだよ。隣のクラスの前川」
「……ふーん」
「気になんねーの?」
「別に」

漸く見つけた英語の教科書を取り出しながら俺は慣れたように笑う。
扉の方へはもう、視線を向けなかった。

「あいつはあいつで進んでるみてーだし」

安心したわ。
そう続けた俺の言葉にそんなもんか?と訝しげに返した倉持が、チャイムの音をきっかけに自分の席へと戻っていった。
それを確認すると一緒に、名前の姿が目に映る。

何日か前まで死んだように休み時間を寝て過ごしていた女と同一人物だとは思えなかった。

そして、今の姿は俺が原因じゃない。

安心したわ。
そんなの、嘘だ。

自分自身に付いた嘘は、そろそろ許容量が超えそうで、でも偽ることは止めない。
何も無い振りをして、俺は前を向く。

あいつが幸せなら良いんだよ。
そう真っ直ぐに言えるような大人に早くなりてぇって、

この時ばかりは柄じゃねぇけど、切に願った。