×長編 | ナノ
倉持から差し出されたノートを見下ろした。 見覚えのあるそれに気分が落ち込んでいくのが分かる。 きっと、押し付けられたんだろうな。 人を使うのがうまいあいつのことだから倉持も気づかない間に押し付けられたりしたんだろうかと想像してみる。 倉持に合掌したくなった。
「なーにこれ」 「身覚えある癖に白切るなんてお前も性格悪ーよな」 「あはは、どうせ倉持も押し付けられたんでしょ」
あいつに。 あの日から自分の意識するところで名前を呼ばなくなったと思う。 心の中で時々思い出すように呟いてみる、御幸って。 けど呼ぶ度に心臓の辺りが痛くなって、辛くなるからそれ以上は出来ない。 同じことをしていたことが前にもあった。
付き合う前のことだ。 あいつのことが好きで好きで、でも話しかけることが出来なくて。 だから何度も心の中で何度も呼んでは練習してた。 御幸、御幸。
あの頃のくすぐったい気持ちがひどく懐かしくて、同じ状況なのに今の現状とはかけ離れてて。 大声を上げて、泣きたくなる衝動を必死に我慢した。
もう、あの頃にも戻れない。
「……」 「辛気臭ぇ面しやがって」 「え、嘘。元気だけど」 「それこそ嘘だな」 「倉持こそ。いつもの人を馬鹿にする顔はどうしたの」 「馬鹿にしていいのかよ」 「うーん。だめ」
だろ。 人の顔よく見てるなぁ。 苦笑を零しながら漸く受け取ったノートをパラパラと捲る。 いつ貸したかも忘れたノート。 今回のテスト範囲になるから助かったけど、と、と折り目の付いたページをそれとなく開いた。
まだ付き合ってた時の授業だ。 あいつとは度々席が近くなることが多くて、筆談しては授業も聞かずにこっそりバレないように笑い合ってたことが度々あった。 ページの一番上に目を合わせる。
『超退屈』 『次部活いつ休み?』 『当分ねぇよ』 『えー』 『嘘。今度の土曜はオフだぜ』 『まじで?やった!(^▽^)どっか行こうよ!』
心はいつも忘れようと努力しているのに。 こんなにも思い出がいっぱいだなんて、酷過ぎるよ。
わたしの字と、あいつの字が仲良さそうに並んでるのを見て、頬杖を付いた手をそっと伸ばした。 机に伏せて、倉持がいる廊下側の通路とは正反対の方向へ顔を向ける。
青い空が、眩しい。
「何なんだろーね」 「……」 「この時は今の自分なんて想像付かなかったわ」 「そりゃそうだろ」 「うん。想像付かなかった」
筆談で、わたしとあいつにどんな未来が来るか語ったこともあったかな。 何の教科だっけ。
確かあいつはわかんねー、とか何とか書いてた気がする。 わたしは?
わたしは、何て書いてたかな。
「思い出せないや」
それだけを独り言のように零して、そっと目を閉じた。 静かに倉持が立ち去ったような音が聞こえてもわたしは机に伏せたまま、同じ体勢で始業のベルを聞き流す。
せめて先生が来るまで、こうしていたい。
廊下側の席になったあいつは、ちゃんと来ているだろうか。
御幸。 もう一度、名前を心の中でひっそりと呼ぶ。 今はただ、忘れないように時々思い出しては呟くことしか出来ない。
何だかんだ言って結局のところ忘れらやしないんだ。
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