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 暁があれ程毎日投げ込んでいた練習を疎らにするようになったことが悲しかった。
と、同時に思い知らされる彼の強い覚悟。やっぱり、行くつもりなんだ、東京。放課後に返しそびれていた本を返却しに寄った図書館で暁を見つけたは、複雑な心に、揺れた。

ミクロコスモス:2

「本気、なんだ」

 机に向かって苦悩する表情をしていた彼に、気付けば小声で話しかけていた。回りには、数人生徒がいるだけで、多分わたしの声は暁にしか届いていないと思う。顔を上げた暁が、何のことか分からない、と言った表情でわたしを見上げた。机に視線をずらす。青道高校、見慣れない高校のパンフレット。すぐにこの高校が暁の行きたい場所なんだと理解した。その傍にある数学やら英語やらの参考書を見て、溜息が零れた。

「東京行くって話」
「冗談なんか言わないんだけど」
「分かってるよ。でも、流石に冗談だと思ってた」
「違うよ」
「分かってる、よ」

 冗談だと思っていたいだけ。
 四人掛けのテーブルの、暁とは対角線の場所に座った。隣も前も、今のわたしには無理だと思う。どうしてだろう。あれほど隣にいたはずなのに。暁が遠い、よ。

「勉強は順調?」
「……」
「まぁ……、投げるの日少なくした分成果はあると思うけど」

 暁の成績は知っていた。だからこそ、ほっとけないとは思う。思うだけで、なかなか決心が付かない。勉強を教えるということはそれだけ彼を東京に近づかせることになるんだ。素直に教えるということが出来ない自分の性格の悪さに呆れた。

「とりあえず、一般入試に間に合えばそれで良いから」
「一般? 野球で推薦は受けないんだ」
「……北海道の中学に、推薦なんて来ないよ」

 野球推薦とか、そこら辺の詳しい事情は知らないからそう、とだけ返した。悲しそうに参考書に目を向けた暁の手が、英語の問題で止まる。多分、学校からの推薦も難しいんだろうな。場所は東京だし、……暁の内申がどれくらいかは分からないけど、この調子じゃ、多分。
 時計に目を向けた。六時半。普通なら暁はもうとっくに河川敷で練習をしているはずの時間なのに。どうしてここまで頑張るんだろう。

「その高校に、すごい人がいるの?」
「うん。あの人なら、僕の球を捕ってくれそうな気がする」
「どうしてもそこじゃなきゃダメなの?別に北海道にだって野球の強い高校はあるじゃん。何も東京なんて」
「……何が言いたいの」

 冷たい、言い方。持っていた英語の参考書を乱暴に机に置いた暁がこちらを睨むように見上げてきた。ほんの少しの恐怖。それを暁に気付かれたくなくて、わたしは顔を逸らしながら、唇を噛み締めた。
 原因は自分にあると分かってても、どうしても止められない。引き止めたかったのだ。彼が東京に行くこと。

「……」
「東京なんて、行かないでよ」
「名前……?」
「なんで東京なの? なんでいなくなっちゃうの? ……嫌だ、よ」

 やばい。泣きそう。自分でも分かるくらい震えてる声が、みっともなくて、これ以上暁に聞いて欲しくなくて、わたしは鞄から一つ数学の参考書をさっき暁がしたように乱暴に机に置いて、その場から逃げた。帰り際に、ばーか!という尤もらしい捨て台詞を吐きながら。何歳だわたし。
 図書館を出て、廊下を走るわたしを、すれ違う生徒が不思議そうに見ていたけどこの際気にしなかった。靴箱で下足と上靴を交換する時も、走って帰った家の玄関を閉めることも、何をするに置いても乱暴にしないと気が済まなかった。布団に埋もれて、ただ涙を止めることなく流し続けた。
 どれくらい思いっ切り泣けば、すっきりして暁を素直に応援することが出来るんだろう。笑って、頑張ってって言える日なんて、この先来るのだろうか。