×長編 | ナノ




 三日に一度くらいのペースで、鍛錬場に足を運ぶ。それは私の仕事の一環だった。以前病気を患ったり怪我を負ったことのある人たちを訪ねるのだ。兵たちが集るその場所が一番手っ取り早いという効率性を重視してのことだ。
 威勢の良い声が木霊するその場所に来るたびに私は圧巻される。誰しもが真剣みを帯びた目で訓練に勤しんでいることに。武器のぶつかり合う音、大音声で張り上げられる声、力強く地を踏みしめる足音。初めて訪れたときは、あまりの光景にここだけが違う世界なのではないかという錯覚に襲われたほど。能天気に生きている私とは、かけ離れた風景だったから。

「お、名前」

 戸口でぼうっと突っ立ったままだった私の名前を呼ぶ声がする。振り向けば、よっと片手を挙げ、こちらに歩み寄ってくる甘寧さまの姿があった。私より何糎も高い彼を見上げる。数日前、その腕に巻かれていた白い布は最早見る影もない。

「回復されたんですか?」
「おお、この通り」
「何よりです」
「世話なったな」
「いいえー別にこれっぽっちも苦労なんてーしてませんー」
「うわ」

 とげとげしい、と吐き捨てるように甘寧さまは言った。苦々しく眉を寄せて、それでも鍛錬を行うのだろうか、その顔はとても嬉々としたものを感じさせた。
 楽しいのですか、と尋ねようと思ってやめた。愚問だろう。それこそ当たり前のこと聞くんじゃねえなんて一発叩いてきそうなほどに。気を引き締めるように衣の裾をきつく締める彼から視線を外し、私は再び訓練に勤しむ兵たちに目を向けた。

「ん〜……」
「なあんだ、辛気臭え面しやがって」
「別に、そんなことないですよ」
「よっぽど坊ちゃんのお守りは大変だったか?」
「……」

 どうして誰も彼もがそのことを知っているのか。
 じろりと強く甘寧さまを見る。睨みつけている、と言っても過言ではなかった。そんな私の表情に、彼は至極愉快そうに笑い声を上げた。

「専ら持ちきりだぜ? 大変だなあ人気者さんよお」
「嬉しくない。すっごい、嬉しくないです」
「まあ、でも解放されたんだろ? 何よりじゃねえか」
「何より、か」

 そう言ってしまえば、そうなる。
 毎日、朝と夕方に陸遜さまの部屋を訪ねる習慣がなくなって、私の仕事は事実上一つ消えた。けれど、そこに付随する感情はなんとも微妙なもので。嬉しい、安心した、それもあるけど。
 どうして、少しだけ寂しいと思ってしまう。

 なんだろう。こんな自分が酷く、気味が悪い。

「お。噂をすれば」

 ひゅうっと軽快な口笛と共に甘寧さまの視線が移る。それに釣られるように、私は同じ方向を見やった。すると、そこには将と剣を交える陸遜さまの姿があった。大よそ、二日ぶりに彼を見た。
 ていうか、私。運動していいなんて、言った覚えないけど。まあいいか。見たところ動きに問題はなさそうだし。

「あいつもう平気なのか?」

 軽快に飛ぶ陸遜さまの姿に一瞥をくれながら甘寧さまが尋ねる。なんと応えるべきなのか。何となく首筋に手を宛がいながら逡巡する。

「ええと、まあ」
「なんとも冴えねえ返事だな」
「執務に戻ってもいいと許可はしましたけど、ええと」
「派手に動くことは認めた覚えはねえって?」
「まあ、そんなところです」
「そら無理な話だ」

 甘寧さまが豪快に笑った。無理だ、と私の言葉を一刀両断した理由を尋ねようと首を傾げれば、甘寧さまは当然のように言い放った。「あんなガキでもな」、という言葉から始まる。

「一丁前に将やってんだ。じっとしてらんねえタチなんだよ」
「思慮深い方だと思ってたんですけど。誰かさんと違いまして」
「誰の話だ? まあ、とにかく、あいつは完全に治るまでじっと大人しく寝てまつ文官たちとは違えってことだ」
「そういうもんなんですか」
「おお、そういうもんだ」
「……」

 ふうん、と唸るように、言った。
 彼と同じ立場にある甘寧さまが言うことだから、私が否定することでもない。それに嬉々とした表情で刃を交える陸遜さまの姿が、どうもその言葉に説得力を持ち合わせさせていたのも事実だった。と、視線を陸遜さまが先程までいたであろう場所に移す。そこに彼の姿はなかった。
 終わったのだろうか、帰ってしまったのだろうか。周囲を見渡す、と、彼はすぐに見つかった。そして、視線もすぐに交わった。まるで予めそうなっていたかのような、交錯。そこにはきっと、深い意味なんてない。

「名前殿」

 名を呼ばれ、深く礼をする。手を差し出し、それを制止すると同時に彼は続けた。

「丁度良かった」
「と、言いますと」
「今からそちらへ伺おうと思っていたのです。処方してくださった薬がなくなってしまって」
「あ? おめえ大の薬嫌いだろーに。いつからそんないい子ちゃんになったんだよ?」

 陸遜さまの言葉に、違和感を訴えたのは甘寧さまだった。私の隣に立ち、疑うような視線を携える。そこにどこか、好奇心のようなものも垣間見れたような気がした。

「別に好きになったわけではありません。名前殿の処方してくださるものは皆総じて、飲みやすいので」
「ふうん?」
「私としても早く怪我を全快させたい。それだけのことですが」

 少し唇を尖らせ、甘寧さまの意味深な相槌に対抗するような素振り。どうにもその応酬の意図が図れず、私は首を傾げるだけだった。二人の間だけに伝達している何かの名前が分からない。けれど、気にも留めず私は陸遜さまに「先に私の執務室に向かって頂けませんか」と了承を請う。

「何名か、様子を伺いたい方がいますので」
「……よろしければ、一緒に行っても構いませんか?」
「え? ええ、別に大丈夫ですけども、お暇にさせてしまうのでは」
「平気です。入り口でお待ちしてますので」
「あ、はい」
「それでは甘寧殿。失礼致しますね」

 拳を前にし、一礼して陸遜さまは先程まで私が佇んでいた場所へと行ってしまった。一緒に行こうと、進言してくれた意図がつかめず私は不思議な気分になる。けれど甘寧さまはやはり彼の言動の意味を理解しているようだった。

「ふーん?」
「何ですか、甘寧さま」
「いや? 青えなあって」
「青い?」
「何でもねえよ」

 からからと笑い声が上がる。よく分からなくて、考えることもしたくなかったので私はそこで甘寧さまとの会話を終わらせる。そして兵たちの様子を見るため、鍛錬上の奥へと向かうことにしたのだった。