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「お、頑張ってるねー」

 練習試合まであと何日かって言う時にわたしは野球部のグラウンドに近づいた。ブルペンって所には降谷の姿はない。御幸はそこにいて、わたしの姿を見つけるなり何してんだお前、と声を掛けてきた。

「や、君大事なもの忘れてたみたいで」
「俺の財布……は、? お前、スったとか?」

 差し出した御幸の見慣れた財布に訝しげにわたしを見た彼。すぐに冗談だよ、とその言葉を撤回したのは多分わたしの表情の変化のせいだろう。自覚はないが、よく腹黒だとか口が悪いとか言われる。不本意だがちょっと最近自覚し始めた。でもこうやって財布を見つけてはわざわざ届けに来てやったんだからわたしにもまだ良心は残ってる。はず。だと信じてる。

「ね、降谷は?」
「あー、あいつはスタミナ不足だからな」
「は? スタミナ?」
「……グラウンド走ってんだよ」
「へぇ……」

 ブルペンからグラウンドを見た。降谷の姿は見えなかったがどこかで見たことのあるような姿がちらほらと確認出来た。倉持がダイブしながらボールを取ってる姿とか、あんまり喋ったことないけど、名前だけ知ってる前園とかもいた。と、ブルペンに近づく足音で、誰かがこちらにやって来たことに気付く。姿を見せたのは降谷だった。汗を滝のように流してて、上下する肩が苦しさを表している。これが野球部か、なんて知ったつもりで装ったが内心はびっくりした。
 どうして、ここまで頑張れるの。

「名前先輩……?」
「……御幸、わたし、戻るわ」
「お?あ、ああ」
「じゃ、練習頑張って。……降谷も」
「……」

 何も答えない。何も言ってこない。それを良いことにさっさと野球部のグラウンドから逃げるように離れた。追ってくるはずはないだろうと思っていたから、当然後ろは振り返ることもせずただ走った。息が、切れる。ああ、わたしもスタミナ無いんだな。そんなことを思いながら足を駆使していたら。不意に、腕を今走っている方向と逆に引っ張られた。思わず変な声が出た。ぎゃ、というか、ふぎゃ、というか。

「……変な声」
「降、谷!」

 まさか。本当のまさか。腕を掴んだのは未だ汗を流す降谷だった。掴まれた腕が太陽の暑さとは裏腹にひんやりとしていて、背筋がぞくりとした。なるべく、平静を保つ。どうしたの。それはこっちの台詞です。どういうことだろうか。彼には、わたしの気持ちなんてお見通しだとでも言うかのような、口振り。

「れ、練習戻んなきゃ。御幸に怒られるよ」
「先輩って、御幸先輩と付き合ってんですか」
「は、あ?」
「だっていつも話題に出すから……」

 どうしたってそんな話になるのだろう。先日の御幸にも同じような感情を抱いた。すぐに色恋沙汰にこじ付けることが今流行りなのだろうか。頭を抱えたいような、呆れたいような。そんな溜息を零しながら付き合ってないよ、とだけ返す。何故そんなあからさまに安心したように笑うんだ。こないだの御幸の言葉がふと、思い起こされた。お前はそう思ってるがあいつはどうだろうな。あの時は無視したけど、今無性に気になった。降谷。名前を呼ぶとまるで犬のようにこちらを見た。うーん、動物愛護精神かなんかの心が駆り立てられるな。

「降谷って好きな奴とか居るの?」
「……」

 呆れたように、降谷が小さく言葉を零した。は、か、え、かのどっちか。

「や、御幸にさ」

 またですか、と今度はげんなり。あれ?無愛想だと思ってたのに。意外にも彼の表情には種類があって驚いた。もしかして、わたしだけかな。こんな降谷を見れるの。

「御幸に降谷はわたしのことどう思ってんだろうな、って言われたから」
「それと好きな奴と、どう関係があるんですか」
「うん、それなんだよね」
「……意味分からない」
「わたしも。ただの友達だって言っといたけど」
「トモダチ……」
「え、違うの? わたしの思い込みとか?」
「違いますけど。いや、違います」

 なんだその返答は。汗を拭うように彼は手で額辺りを隠した。汗を拭う、だけじゃない。どうしたんだろう。顔が、赤いのは、もしかして。

「降谷、熱? 風邪?」
「もう黙ってくんない」
「……先輩に対する態度じゃなくないそれ」
「最初に敬語要らないなんて言ったのは先輩じゃないですか」

 何を今更。吐き捨てるようにそう言って、黙ってしまった。意味分からん。どうして少し不機嫌そうなのかも、どうして、降谷の顔が赤いのかも。