×長編 | ナノ
悪化したとか何とか、とにかく彼の怒声はいい加減私にぶつけるのを止めてくれたらいい。そもそも自業自得だ、と布を解いていた力を強くする。
「だーかーら、いってえっつうの!」
昨日に起こったことと二重写しの会話に、うんざりしていた。決して目の前で不平を捲くし立てる甘寧さまが嫌いとかそういうわけではないのだ。そういう訳ではないのだけど、それとこれとは話が別だ。
「ちゃんと毎日布を替えてくださいねって言いましたけど。昨日。一日で悪化って洒落になりませんけど」 「んな面倒くせえことやってられっかよ」 「……そうですか、それじゃあ明日も明後日もこの薬を塗らなきゃいけないですね」 「放っておけば」 「治るわけないでしょう、膿み始めているというのに」
患部を見つめる。 とてもじゃないけれど普通の人なら直視できないほどにそこは見苦しいものになっていた。見苦しいと素直に言ったら、首が飛ぶだろうか。だけど自業自得。本当にこれは譲れない。私のせいじゃない。そう言われても、甘寧さまは文句など言えない立場のはずだ。 それを彼は少しでも自覚してくれているのだろうか。きっと、してない。
「甘寧さま」 「んだよ」 「こんな傷だらけの体じゃ、女人にも慕われませんよ」 「言っとくが、俺ぁ引く手数多だぜ」 「嘘だ」 「嘘じゃねーって」 「私が女だったら甘寧さまみたいな無茶ばっかりする人、好きになれません」 「お前女だろーが」 「そうでした」
なんだそれ。 甘寧さまが小さく笑った。ああ、と妙に納得してしまった。無邪気な少年みたいなその笑顔が、世の女性を惹き付けるのだろうか。あながち彼の言葉も間違いじゃないのかもしれない。認めたくないけど。 先程見苦しいと評価した傷跡に、出来るだけ沁みないよう薬を塗っていく。沁みるだろうと覚悟していた甘寧さまの表情が驚愕に変わる。なんですか、と尋ねれば予想外だといわんばかりの声で「沁みねえ」と呟かれた。
「痛くないようにしてますから」 「んだよ、出来んなら最初っからそうしろよ」 「幾ら沁みるように塗っても学習しないなって分かっちゃった人に、これ以上痛い仕打ちしても意味がないからですよ」 「おめえ、口殺がれてえの?」 「あくまで今は医官と患者。私の方が上の立場です」
もちろん治療が終われば全力で謙りますけど、と続ける。我ながら可愛げのない応答だと思ったが甘寧さまも同様の感想を抱いたのか「可愛くねえ」と言った。
「それは褒め言葉として受け取っておきますね」 「おかしな奴だぜ」 「あれ、なんか呂蒙さまにも同じこと言われたような」 「おっさんに?」
それから、甘寧さまが何かを思い出したようにそういえば、と続けた。
「おっさんといやあ、陸遜の奴は大丈夫なのか」 「りくそん? どなたですか?」 「あ? 何だよ、ここに来てねえのか、あいつ」 「私は知りませんが、呂蒙さまでしたら先日ここに来て処方を頼まれてきましたが」 「ふうん」
ここを訪れた方の名が記載されている書簡は大方目に通しているけれど、陸遜、という名前に思い当たる節はなかった。怪我をされたんですか、という質問に甘寧さまは少し渋るような素振りを見せてから「俺より酷えんじゃねえの」と言った。反応に困った。元々そこまで酷くなかった怪我を悪化させた甘寧さまの、どこを基準に判断すればいいのか分からなかったのだ。 薬を塗り、布を巻き終えると甘寧さまが「ありがとよ」と短く礼を言った。それをきっかけに立場は大きく変わる。私は甘寧さまのずっと下に位置が戻るのだ。 先の非礼を詫びるように一礼すると、甘寧さまは笑った。「らしくねえ」、と。
「それよか、時間あったら陸遜の野郎も診てやってくれよ」 「……甘寧さまこそ、らしくありませんね」
とてもじゃないけれど、他人に優しさなど掛けない性格だと思っていたため、彼の言葉に驚きと素直な感想を吐露してしまった。眉を寄せつつ、甘寧さまはこちらの再三の失言に目を瞑ってくれた。本当は優しい、のだろうか。この人の人柄というのがどうにも掴めないな、と苦笑を零す。
「別にどーでもいいんだけどよ、あいつ溜め込む性格だからな」 「溜め込む、?」 「前の戦。指揮の大半はあいつが執ってたからな。失策じゃなかったが、まあまあ犠牲が付いちまった」 「……ああ」
そのことで、全てを理解した。 あの惨状を作り出した張本人が陸遜という方なのか、と。ただし、そこに負の感情はなく、あの日感じた苛立ちも何も戻ってくることはなかった。それは過去のこと。今更責めてどうなることでもない、ましてや戦に関わらなかった私が言える立場でもないのだ。 自責の念に駆られているという間接的な情報から、その陸遜さまとやらの人物像を浮かべてみる。
「実直な方なのですね」 「はあ?」 「その陸遜さまとやらは」 「……無駄にな」 「甘寧さまとは正反対ですか?」 「まあな。あんま言うと本当口吹き飛ばすぞ」
出来るのでしたら、と笑った。
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