×長編 | ナノ



 ルーキー。新人選手。ぽっかりと空いた穴が、いつか埋まることはあるのだろうか。

「……名前?」
「……」
「名前ー」
「え、あ、」
「どうした?ぼーっとして。いつものことだけど」
「あ、ちょっと……考え事。大丈夫」
「そう?ほら、あっち」

 榎本に釣られて、私は降谷君が投げている場所から彼女が示した場所に視線を移した。

「小湊君とか増子くんとか、あと純もいる」
「ああホントだ……あれ」
「ん?」
「榎本、伊佐敷君と仲良いんだ?」
「……っ」

 あれ。
 ただ彼女の言葉の端に感じた違和感を口にしただけなのに、榎本は図星を突かれた時のように居心地の悪い顔をした。……図星?まさかとは思うけど。

「もしかして……榎本も個人的な応援?もある?」
「や、私は!!」
「わ、びっくりした」

 そのまさかだった。
 声を荒げた彼女の顔がみるみるうちにに赤みを帯びていく。次第に面白くなってきた私は、つい口元を緩めてしまった。笑うなと言わんばかりの鋭い顔がこちらをきつく睨んでくる。

「わ、私は……もちろん野球部全体の応援が目的で!!」「で」
「じゅ……純のことは別に、その、……あの」
「うんうん」
「…………誰にも言わないで」
「はいはい。大丈夫大丈夫」

 いわゆる恋する乙女っていう奴か。可愛いなあ。押し殺したような笑いを噛み締める。いい加減な反応を返した私に、声を更に荒げた榎本の顔は先程よりもずっと真っ赤だった。

「……私、打撃練習の方に行くね」
「伊佐敷君いるしね」
「関係ないー!もう!だからバレたくなかったのに!」
「はいはい」
「……名前は?」
「ん?私はまだここにいるよ」

 打撃練習に行っても、きっとよく分からないことばかりだと思うし。そう続けようとした私の言葉を榎本が違うよ、と遮った。

「名前は……降谷君のこと好き、とか」
「あ。そんなんじゃないんだ」
「そうなの?」
「そうなの。ちょっとお世話になったからお礼が言いたいだけ」
「でも……名前」
「ん?」

 実際、私の言葉に嘘はなかった。と思う。彼に向ける感情に特別なものは何一つなくて、ただ私は昨日のお礼を言いたいだけ。それなのにどうしてだろう。

「名前が降谷君を見てる時の目、すごく優しいよ」

 彼女の言葉に酷く動揺している自分がいる。

「……き、気のせいじゃないかな」
「そうかなあ」
「そう。ほら、私の目はいつも優しいし!」
「わー、すごい勘違い!」
「きっぱり言われるのもなんか傷付く……」

 笑い合った会話を最後に、榎本は打撃練習を行う方へ行ってしまった。ベンチに一人残された私は改めて、降谷君の練習する姿をぼうっと見つめる。頬杖を付いた肘が軽く痛みを訴え始めた時、投球練習に少しの間が訪れた。何だろう。周りにあれほどいた観戦者は少しずつ減り始めていたけど、そういった人達の話し声などで投球練習の場にいる彼らの声はうまく聞き取れなかった。それでも耳が時折、単語を拾い上げる。

 調子、気張るな、無理、休む、休憩、十五分。時計を見れば、七時前。小湊君が言っていた通りの時間、投球練習は一時中断されることとなった。

 立ち上がり、すうっと深い息を吐く。手を当てた心臓は心なしか、速い鼓動を打っていた。

 ただお礼を言うだけなのに、どうしてこんなにも緊張しているんだろう。堅くなった体を駆使し、ベンチを後にするべく振り返った。私はまたも言葉をなくしてしまう。だって、まさか。

「…………っ」

 まさか彼の方からこちらに来る想定など全く考えていなかったからだ。